人的資本経営が重視される理由と
実現に向けたポイント
2023年2月10日
昨今、ニュースなどで人的資本経営について報じられることが増え、人的資本経営は企業経営における大きなトレンドのひとつになっている。人的資本の「開示」に向けた動きが急速に活発化し、対応を進めている企業が増えている一方、本質的に企業価値を向上していくためには「開示」のみに留まらない、人材価値を最大限に引き上げるための「実践」を伴った人的資本経営を目指す必要がある。
本インサイトでは、人的資本経営に関心のあるビジネスパーソンに向けて、人的資本経営の概要、最新の動向、重要性やメリットについて解説していく。
人的資本経営とは何か
ここでは、人的資本経営の基本的な概念と、国外・国内それぞれから見る社会動向について解説していく。
「人的資本経営」とは?
まず「人的資本経営」とはどのようなものなのだろうか。企業経営における有形の経営資源としては「ヒト・モノ・カネ」が挙げられるが、この中でも「ヒト」の部分を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげるのが、人的資本経営の考え方である。
人的資本経営が一般的になる以前にも、「人的資源」という言葉は存在した。資源がいつかは枯渇するものであるのに対し、資本は中長期的な成長が見込めるという点に違いがある。「人的資本」とは、具体的には「企業の従業員が身につけている技能」「経験」「人的なネットワーク」などを指す。従来は個人の努力や自己研鑽の範疇とされていた部分についても、企業として投資する対象となりつつあるのだ。
では、「人的資本に対しての投資」とは具体的にどのようなものなのか。その例のひとつが、昨今必要性が叫ばれている、従業員の「リスキリング(Reskilling)」である。リスキリングとは、簡単に言うと「働くために必要な知識やスキルを習得・学び直しする(させる)こと」を意味する。近年では特に、デジタル化と共に生まれ変わるであろう職業や、大幅な変化が起こるであろう職業に従事するためのスキル習得を指すことが多い。
一方で、リスキリングは数ある「人的資本に対しての投資」の中の一施策に過ぎない。「人的資本に対しての投資」には、経営戦略や人事戦略に基づいた従業員の能力開発、従業員のエンゲージメント向上施策、多様な人材が活躍できる環境や制度の整備など、人的資本の価値を最大限に引き出すための幅広い取り組みが含まれる。
人的資本経営における「開示」と「実践」
さらに人的資本経営の取り組みを分解すると、大きく「開示」と「実践」という2つの要素がある(図1)。
「開示」とは、主に投資家への要望に応えるため、人的資本情報を外部に対して説明する取り組みを指す。
一方、「実践」とは、内部的に人的資本情報のKPI(重要業績評価指標)管理を行い、その投資対効果をモニタリングしながら、人的資本に継続的な投資を行う取り組みを指す。「開示」は外部向け、「実践」は内部向けの取り組みともいえる。
人的資本経営を実現するためには、外部向けに情報を「開示」するという形式的なものだけではなく、「実践」を伴って初めて企業価値向上につながるという点が重要な観点になる。
明確な数字で表される財務指標とは異なり、非財務情報のひとつである人的資本に関する取り組みと成果は外部からは把握しづらいことは言うまでもない。そのため、自社で人的資本経営への取り組みを可視化する明確な指標を設定・管理し、人的資本に継続的な投資を行っていくことが真に人的資本の価値、ひいては企業価値を向上させることにつながっていくと考える。
図1 人的資本経営の定義
人的資本に関する社会動向
日本のみならず世界中で重要視する動きが高まっている人的資本だが、国外と国内ではそれぞれどのような動きが見られるのだろうか。
海外の動向
近年の人的資本への関心は、欧米を起点にして高まり始めた。その発端は、投資家が株価以外の評価指標として人的資本に着目し始めたことである。特に近年は、株価が企業のパフォーマンスを必ずしも正確に表していない状況が見られ、人的資本をはじめとした非財務指標に対する関心が高まっている。
この状況を受けて、EU(欧州委員会)では「非財務情報開示指令」が2021年に改正され、全ての大企業・上場企業に対して人的資本に関する開示基準が定められた。また、米国でも米国証券取引所において2020年8月に上場企業に対する人的資本に関する開示が義務付けられている。
図2 人的情報開示の規制化の代表的な動き
国内の動向
海外で先行する人的資本開示義務化の流れを受けて、日本においても取り組みが進みつつある。
金融庁は2023年度以降、有価証券報告書を発行する大企業4,000社に対して人的資本投資に関する「戦略」と「指標及び目標」の開示を求めている。また、2021年12月には岸田総理が、人的資本に関する非財務情報の開示ルール策定を加速させる考えについて述べ、実際に2022年夏には内閣官房から「人的資本可視化ガイドライン」が発表されている。
この動きは今後ますます加速し、今後数年で人的資本に関する開示は義務化、ないしは事実上の義務化となることが予想されている。
人的資本経営の重要性とメリット
ここでは、人的資本経営の重要性とそれを実現するメリットを中心に解説していく。
人的資本経営がなぜ重要なのか
そもそも今、人的資本経営の重要性が増しているのはなぜなのか。その大きな理由は、先ほども触れた通り「投資家からの関心の高まり」である。
従来、株主である投資家が高い関心を示すのは財務的指標であった。企業の時価総額は財務的指標である「有形資産」と財務的指標に表れない「無形資産」で構成されているが、企業価値に占める無形資産の割合は年々高まっている。そのため、企業の視点からも投資家に対して無形資産の情報を積極的に開示して、新たな投資を呼び込む必要性に迫られているのである。
アビームコンサルティングが実施した「日本企業の人的資本経営取り組み実態調査」においても、成長傾向にある企業はそうでない企業の1.5倍の割合で人的資本経営への取り組みを開始しており、先を行く動きを見せている(図3)。また、人的資本経営の「開示」と「実践」については、調査対象の70%以上の企業が3年以内に開始する意向を示した(図4)。
図3 人的資本経営に関する認知度・理解度/取り組み状況の比較
図4 人的資本経営に関する取り組み意思について
これらの結果からも、人的資本経営への取り組みは企業経営における必須事項となりつつあることがわかり、取り組みを行わない企業は今後成長企業と比較して大きな差をつけられてしまう恐れがある。人材を企業価値の決定因子ないしは競争力と捉え、重要な経営アジェンダとして戦略的に人的資本に投資していくことが求められているといえる。
人的資本経営を実現することのメリット
それでは、人的資本経営の取り組みが生むメリットとは何があるのだろうか。「対投資家」「対従業員」「対労働市場」「対顧客」の4つの観点で解説していく。
【対投資家】企業価値の向上
人的資本経営の実現によって、対投資家の観点では「企業価値を向上させられる」というメリットがある。
先述の通り、企業価値の指標である時価総額の構成要素は有形資産と無形資産であり、近年は無形資産の占める割合が増している。そのため、人的資本経営の取り組みそのものが直接的に株価へ影響を及ぼすケースが増えてきた。
アビームコンサルティングの独自調査の結果では、人的資本経営に取り組む理由として最も多かったのが「投資家への説明責任を果たす必要があるから」である。このことからも、投資家の関心が財務指標に表れる有形資産から、人的資本をはじめとした無形資産に移りつつあることがわかる。
【対従業員】エンゲージメントの向上
人的資本経営は「従業員のエンゲージメント向上」の観点でもメリットがある。
人的資本経営の取り組みには、従業員が働きやすい環境の整備、リスキリングをはじめとしたスキル習得の機会提供など、実際に従業員がメリットを受けられるものが含まれている。そのため、人的資本経営の取り組みが進んだ企業では、従業員の働く意欲が高まることによる生産性の向上、離職率の低下が期待できるだろう。
また、ダイバーシティ(多様性)の実現も人的資本経営の取り組みとされている。ダイバーシティへの取り組みは企業倫理の観点からも重要な取り組みであり、多種多様なバックグラウンドを持つ従業員のエンゲージメントを高めることにつながる。このように人的資本経営の実現は、外部の投資家に留まらず企業内部の従業員にもプラスの効果をもたらすものだといえる。
【対労働市場】採用力の向上
人的資本経営の取り組みは、労働市場向けにはどのようなメリットがあるのだろうか。
近年は働き方改革に取り組む企業が増え、労働市場において「働きやすさ」が企業を評価する指標となりつつある。さらに、「エンプロイヤーブランディング(雇用者としてのブランディング)」という概念が広がり、採用候補者に対するブランドイメージも重視されている。
従業員のエンゲージメント向上、労働市場におけるブランドイメージ向上との相乗効果で、人材採用力の強化や採用コストの削減が期待できることが労働市場に対する人的資本経営のメリットだといえるだろう。
【対顧客】ブランド力の向上
人的資本経営に取り組むことで、「顧客向けのブランド力向上」にもメリットがある。
先ほど人的資本経営の取り組みには従業員エンゲージメントを高める効果があると述べたが、「働きやすい」、「従業員に優しい」といった対外的な評価は企業のブランドイメージ向上にも貢献する。
特に近年は、企業に対してビジネス上の付加価値に留まらず、SDGsや多様性などの倫理的な観点でも社会的価値の創出が求められている。社会的な価値創出に向けた人的資本経営の取り組みを発信することで、顧客に対するブランドイメージの向上も期待できるといえる。
人的資本経営を実現するためのポイント
ここでは、企業が人的資本経営を実現するためのポイントについて解説していく。
人的資本経営実現のために必要な取り組み
アビームコンサルティングでは、人的資本経営の実現には、「事業戦略との連動」「基盤づくり」「ステークホルダーとの対話」という3つのポイントが重要だと考えている(図5)。それぞれの項目について、ポイントを絞って説明していく。
図5 人的資本経営の実現に向けたポイント
経営・事業と人事の一体的な戦略立て
人的資本経営の「人的」という言葉から、実際に取り組みを行う主体は人事部門と誤解されがちであるが、人的資本経営の実現には経営層・事業部門も一体となった体制で推進することが求められる。
人材にまつわる重要な課題(人材マテリアリティ)の設定は、人事部門による検討のみでは不十分であり、経営および事業と連動した形で推進することが重要だ。したがって、推進体制も人事、経営、事業部門の各所からメンバーを募って全社的な戦略として取り組む必要がある。
また、プロジェクトの推進においては中長期的に必要となる人材像の定義を事業部門が、課題設定の根拠となるデータを集める役目をIT部門が担うといった具合に各部門に明確な役割を与えることも重要である。
デジタルを活用した基盤づくり
人的資本経営は企業の無形資産に関わる取り組みであり、本来は目に見えないものをどのように可視化し投資家を含めた外部に発信していくかについては多くの課題がある。
そんな人的資本経営の可視化に大きく貢献するのが「デジタル技術」である。従業員のエンゲージメントやスキルといった、財務指標に表れない項目を数値化・効率的に収集し分析するためには、デジタル技術の活用が欠かせない。
人事情報をデータで管理している企業は多いものの、情報が不十分、他のシステムと連携していないなど部分最適での仕組みが構築されているケースも多く、その場合組織横断での情報分析が困難となる。
人事情報をクラウド上に集めるなどして一元的に管理する仕組みを構築し、継続的な人的資本のKPIをモニタリングする基盤、すなわち「人的資本経営プラットフォーム」を作ること、そして効果的な施策としての個々の従業員に合わせたパーソナライゼーションの実現がカギを握る(図6)。パーソナライゼーションの例としては、業務上求められるスキルと個々人の現状のスキルのギャップから適切な学習をリコメンドする施策などがあげられる。
図6 人的資本経営を支えるデータと必要となるプラットフォーム
ステークホルダーへのコミュニケーション戦略づくり
投資家に対する情報の開示は、IRの発行や、株主総会での説明による自社の経営状況発信などが一般的である。しかし、人的資本経営の取り組み状況については、これまで述べてきた通り、投資家に留まらず顧客・労働市場といった幅広いステークホルダーに訴求する必要があるため、広報・採用・マーケティングなど多方面での発信が求められる。
その際、人的資本経営を形式的なものにしないためには、各種法令やISO30414(人的資本に関する情報開示のガイドライン)などのルールに準拠した指標(義務的KPI)と独自の価値訴求する指標(価値創造KPI)の両面でKPIの整理をし、ステークホルダーに合わせて発信の仕方を変えていくことが重要だと考える(図7)。
図7 KPIの種類ごとの発信の仕方の例
まとめ
国内において人的資本経営は一部の先進的な企業の取り組みであり、海外が先行している状況が続いてきた。しかし、投資家による関心の高まり、政府による働きかけによって、優先的に取り組むべき企業の重要アジェンダのひとつとなっている。
アビームコンサルティングは、これまで日本企業の変革を共に実現してきた実績と、専門的な人事改革・DX知見を掛け合わせ、人的資本経営の実現に向けた戦略の企画、実行、ステークホルダーとの対話までをトータルに支援している。日本の独自性を踏まえた最適なアプローチ、かつグローバルで通用する人的資本経営の在り方を提案するとともに、クラウドやAIの活用を通じたデジタライゼーションを推進し、多様化する従業員一人ひとりにパーソナライズされた効果的かつ独自の施策を支援している。今後も企業の変革パートナーとして、企業の真の人的資本経営の実現に向けて貢献していきたい。
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