企業にとって人的資本経営の実現が重要な課題となっている昨今、「エンプロイヤーブランディング」という概念が注目されつつある。エンプロイヤーブランディングとは、企業や組織が雇用主の観点で、魅力的な職場として認知されるよう、ブランド力を高める活動を指す。
本インサイトでは、エンプロイヤーブランディングの概要、エンプロイヤーブランディングが重視される背景、取り組み方について解説する。
ここでは、エンプロイヤーブランディングの概要について解説する。
まず「エンプロイヤーブランディング」とはどのようなものなのだろうか。エンプロイヤーブランディングとは、企業や組織などが雇用主の立場から、「働く場」としてのブランドイメージを構築し、採用候補者、従業員といった社内外の関係者を惹きつける統合的な取り組みを指す。
エンプロイヤーブランディングに取り組むことは、欧米を中心に世界の企業では当然のこととして行われ、単なる人事戦略だけでなく、企業としての成長戦略・経営戦略に連動した取り組みだと捉えられている。
昨今、日本でも、人的資本経営(人材を資本として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営手法)の重要性に注目が集まっているが、エンプロイヤーブランディングは、人的資本経営を実現する上で欠かせない要素の一つである。
ビジネス環境の変化や働き方の多様化など、企業を取り巻く環境が大きく変化する中、経営戦略と連動した人事戦略を構築することで、企業の持続的な成長につなげていく取り組みがこれまで以上に重視されている。
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図1の通り、エンプロイヤーブランディングにおいて、社内と社外に向けた取り組みは相互に影響する。そのため、個々に独立した形ではなく、一つの戦略に基づいて組織的に施策を進めなければならないことに注意が必要だ。
例えば、従業員にとって働きやすい環境が提供され、キャリアアップを実感でき、その会社で働くことに多くの従業員が誇りを感じている企業であっても、そのことが外部に発信され、認識されていなければ、エンプロイヤーブランディングが上手くいっているとは言えないだろう。一方で、実際に社内で従業員に対して十分な施策をとっていないにも関わらず、外部に対するアピールだけに力を入れている場合は、根拠を提示できないことから社内外からの信頼を失ってしまう恐れがある。
このように、エンプロイヤーブランディングは社内の労働者に対して惹きつける施策を継続することで根拠を生み、それを社外の労働者に対して効果的に伝えていく取り組みと言える。そして社内の労働者が、社外に発信されていることに実感を伴って共感できれば、それが自社で働くことへの誇りに変わり、より一層会社に惹きつけられていくという良い循環を生み出すことができるだろう。
これまでも企業のブランド戦略は存在したが、消費者や採用候補者などターゲットごとに担い手となる部署が異なり、個々の部署が並行してブランド向上に努めてきたケースも多い。
しかし、人材獲得競争の激化やデジタル化をはじめとした複合的な要因により、一つの部門では対処できない課題が増え、ブランド戦略を全社的な取り組みに昇華させる必要が出てきた。ここで注目されている取り組みのひとつが「エンプロイヤーブランディング」である。
昨今は大手企業を中心に、明確にエンプロイヤーブランディングを掲げた施策を実行する事例が増えつつある。また、ランスタッド株式会社が2021年に実施した調査によれば、マネジメント層の80%が優れたエンプロイヤーブランディングによって優秀な人材を惹きつけられると考えており、その重要性も認知されつつあるといえるだろう。
エンプロイヤーブランディングは、「インナーブランディング」や「採用ブランディング」といった似た用語として混同されることがある。
インナーブランディングとは、将来的なビジョンに基づき社内の価値観を統一し、全員が目標に向かって自律的に動ける強い組織の実現を目指す考え方だ。エンプロイヤーブランディングと違い、あくまで社内を対象にしていることが大きな違いである。
一方、採用ブランディングは採用分野に対象が絞られることが大きな違いである。エンプロイヤーブランディングには、採用観点での取り組みも含まれるものの、あくまでも全体の一部である。
インナーブランディングや採用ブランディングを包含した考え方が、エンプロイヤーブランディングと言えるだろう。
カスタマーブランディングは、エンプロイヤーブランディングと違い、顧客となる取引先や消費者に対する取り組みであり、訴求する価値も異なる。ここで重要になるのが「コーポレートブランディング」だ。コーポレートブランディングとは、社会全体に対して企業としてのブランド価値を確立し、向上させる取り組みのことを指す。
エンプロイヤーブランディング、カスタマーブランディング、コーポレートブランディングの関係性を示したのが、図2である。コーポレートブランディングは、企業そのもののブランドとして、エンプロイヤーブランディングとカスタマーブランディングの矛盾をなくし、両者をつなぐ役割がある。
なお、LinkedInの調査によると、採用候補者の就職検討に与える影響は、コーポレートブランディングより、エンプロイヤーブランディングの方がより大きいとされている。そのため、優秀な人材の獲得にはエンプロイヤーブランディングを高めることが欠かせないと言える。
ここでは、昨今エンプロイヤーブランディングが重要視されている背景について解説する。
米国のギャラップ社の調査によると日本では従業員エンゲージメントの高い(熱意あふれる)社員の割合が世界的に低いとされており、日本企業が成長を図るうえで、従業員エンゲージメントの向上が課題のひとつとなっている。
終身雇用や年功序列が長く続いた日本企業では、社員のエンゲージメントが低い一方で、定着率や長く勤めようとする志向が高い、いわば「ぶら下がり」といえる事象が顕在化していた。このような企業では、「物理/心理的安全・上司・周囲のメンバー」といった居心地のよさに関わる指標は良好な一方で、「自社の将来性・自身の成長・改善への期待」といった指標は低い傾向にある。従業員が自社・自身の将来に対して不安を抱えている、改善を諦めてしまっている状態は、イノベーションを生み出しやすい環境とは言えないだろう。
また、昨今成果評価やジョブ型雇用といった施策が多くの企業で実施・検討されているが、これらは、主にパフォーマンスの高い層と低い層に注力する施策のため、企業内で大部分を占めるミドルパフォーマーは置き去りにされてきたとも言える。その結果が、組織全体のエンゲージメント低下につながっている側面もあるだろう。
エンプロイヤーブランディングに注目が集まる背景には、「人材獲得競争の激化」も挙げられる。近年は売り手市場が続いており、あらゆる業種・業界でスキルの高い人材の獲得競争が激化し、人手不足が深刻化している。一方で、アビームコンサルティングが行った調査の結果、転職市場の活性化により優秀な人材の流出を懸念する企業も3割程度存在することが判明している。
このように、企業にとって事業推進に必要な人材を確保し、定着させることが、切実な課題となっており、エンプロイヤーブランディングに取り組む動機となっている。
近年は様々な分野でデジタル化が進んでいるが、これは採用市場においても例外ではない。特にコロナ禍においては、企業の採用説明会や面接の多くがオンラインで実施されるようになり、現在もその流れは続いている。
また、採用候補者や従業員による企業の評価や口コミが、SNSなどを通じて一瞬で伝播するようになった。同時に、多くの人々がインターネット上の情報を参考に企業に対する評価を決めるようになるため、よりエンプロイヤーブランディングの重要性が増しているのだ。
さらに、社内の関係者が情報発信するハードルが下がったことで、企業内部の実情がインターネットなどで出回るケースも増えている。表面的な施策を行ったとしても取り繕うことができないため、中身の伴ったブランディング戦略が必要なことは言うまでもないだろう。
ここでは、エンプロイヤーブランディングの実行において重要なポイントについて解説する。
効果的なエンプロイヤーブランディングを実現するためのステップをまとめたのが、図3である。
今回は、中でも重要なポイントを3つ紹介する。
エンプロイヤーブランディングにおいて、最初に取り組むべきことは「EVPの定義」である。EVPとは「Employer Value Proposition」の略であり、社内外のターゲットとなる労働者からの期待を明確に定義したものだ。「あなたがなぜその企業で働くのか」という問いに対する答えとも言い換えられるだろう。
図4の通り、EVPの定義にあたっては、まず、社内外の労働者が「働く場」としての自社に対して、どのようなニーズを持っているかを把握することが重要になる。そのためには、自社がどのようなブランドイメージを持たれているのかの調査を実施し、結果から浮かび上がった自社の現状とのギャップを明確にしてEVPのドラフトを作成するという方法ある。また、エンプロイヤーブランディングにおいては、「競合にはない自社ならではの魅力」という観点が重要になるため、競合他社の取り組み状況についても併せて調査を行い、差別化を図ることも重要である。ここで定めたEVPは、この後に続く「全体計画策定」において重要な軸になる。
社内外に対してEVPに関わる調査を実施する場合、その調査結果は膨大な情報量になるだろう。ここから正しく現状を把握し、他社との差別化につながる有益な情報を抽出できるよう、自社で分析手法を整備しておくことも重要である。
EVPの定義に加えて、「なぜエンプロイヤーブランディングを実現したいのか」という目的を明確にすることも重要である。人材獲得競争の激化やデジタル化の進展など様々な背景がある中で、企業が直面する経営課題は多岐に渡る。そのため、先述した通り、既存の成長戦略・経営戦略に即した考え方で、エンプロイヤーブランディングの目的を設定することが望ましいだろう。
また、目的を達成できたかの指標として、KPI(重要業績評価指標)の設定も必要になる。
その際、定めたEVPを実現するためのKPIを「短期」「中長期」の2つの観点から、施策ごとに設定していくことが望ましい。「短期」のKPIは主に施策の進捗や達成度を測るために使われる。例えば、採用キャンペーンへの参加者数や1on1の実施率などが考えられる。一方で、エンプロイヤーブランディングはコーポレートブランディングと同様、継続的な取り組みであり、すぐに効果が出ないことが常である。よって「中長期」でKPIを設定し、3~5年後の社内のエンゲージメントのスコアや複数企業に内定が出ている学生の内定受諾率など、エンプロイヤーブランドを高めることで達成したい目標を設定すべきである。
また、中長期経営計画にエンプロイヤーブランディングの施策を盛り込むなどして、全社的な活動として経営層がコミットすることも有効だ。
計画の策定・実行に当たって、まず社内に対しては、社員が働く中でどのような経験を通して、エンプロイヤーブランディングを構築するのかを計画し実行していく。施策の分類としては、「制度」「業務」「組織・体制」「IT・社内環境」などに分けられるだろう。
そして、社外に対しては、労働市場におけるターゲットセグメント毎に適切なチャネルを通じたアプローチ計画を立案し、実行していく。
図5のように、社内・社外向けにいずれに対しても、各タッチポイントを洗い出した上で、それぞれの対面時やコンテンツ作成において「して良いこと」「していけないこと」を定義し、計画を立てていくことが重要になる。
その際には、先述したコーポレートブランディングの観点から見ても整合が取れている施策の検討が欠かせない。
ここでは、エンプロイヤーブランディングの実現に向けた取り組みにおいて、注意すべき点について解説する。
エンプロイヤーブランディングというと人事部だけが取り組むものだと誤解されやすいが、実際には様々な部門が関与し、全社的な施策として推し進めていく必要がある。
例えば、企業のブランドイメージを社内外に発信していくためには、広報部門やマーケティング部門などの部門との協力や、人的資本経営実現に向けた情報の「開示」といった観点から、IR部門やサステナビリティ組織とも連携し、自社の統合報告書に記載を行うといった取り組みも欠かせない。さらに、エンプロイヤーブランディングの一環として働き方改革に踏み込むためには、実際に現場で業務に携わる部門との関わりも不可欠になるだろう。
エンプロイヤーブランディングの実行にあたっては、「外面のみをきれいに見せる」という方法になっていないか、注意する必要がある。形骸化したエンプロイヤーブランディングは効果が上がらないだけではなく、社内の関係者から実態の伴わない施策と認識され、ネガティブな感情を抱かせることになりかねない。
また、入社前と入社後のイメージのギャップが大きくなり、結果的に従業員エンゲージメントの低下につながってしまうというケースもある。
現在行っていることを何も変えずに、見た目だけを整える、という考え方ではなく、エンプロイヤーブランディングの確立に向けた根本的な変革が必要になる。
エンプロイヤーブランディングは、競合他社との差別化ができて初めて効果を発揮する。そのため、没個性的な施策に終始してしまうと自社ならではの魅力・ブランドイメージを訴求しきれず、埋没してしまう恐れがある。
施策を考える際には、図6の通り、「仕組み」と「表現」の2軸で「驚きがあるかどうか」という点を評価するという方法ある。仕組みとしての驚きとは、採用の例で言うと、「入社数年で管理職に昇格できる」「成果次第で年収が2,000万円に上がる」などをイメージすると良いだろう。一方、表現としての驚きとは、例えば「新卒事業責任者」など、目を惹きつけるキャッチコピーである。
上記はあくまで一例ではあるが、「驚き」という観点から施策を検討してみるのもひとつだ。
エンプロイヤーブランディングを実現するためには、社内外からの「働く場」としての自社のブランドイメージを把握し、自社ならではのEVPを定義し、実現に向けた様々な施策を展開する必要がある。これから取り組みを進める企業においては、何から着手すれば良いのか分からず、活動が難航することも考えられる。
アビームコンサルティングでは、エンプロイヤーブランディングのガイドライン・全体実行計画の策定をはじめ、幅広い分野での支援が可能である。また、方向性が定めづらいKPIの設定に関しても、ISO30414認証機関の公式パートナーとして、人的資本経営の観点からの提案や支援ができることも特筆すべき点だ。今後も企業の変革パートナーとして、エンプロイヤーブランディングの実現に向けて貢献してきたい。
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