「ケイパビリティ型人材マネジメント」で日本企業の低生産性・人材不足に挑む 第4回「適所適材」を実現するタレントマーケットづくり ― ケイパビリティを軸にした社内労働市場の再設計 ―

インサイト
2026.04.30
  • 人的資本経営
  • 人材/組織マネジメント
  • 経営戦略/経営改革
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執筆者情報

  • 大櫛 愛也

    大櫛 愛也

    Manager

第1章 なぜ今、タレントマーケットの設計が必要なのか ― 経営課題としての必然性

前回のインサイトでは、人材ポートフォリオを通じて現在の生産性と将来のケイパビリティとのギャップを可視化する枠組みを示した。本稿では、そのギャップをどのように埋めるかという実装の論点として、「タレントマーケット」の設計を扱う。

現在、企業を取り巻く事業環境はかつてない速度で変化している。AIの進展や産業構造の再編などにより、事業の前提条件そのものが短期間で書き換えられる状況が続いている。このような環境下では、数年前には最適であった組織構造や人材配置が、すでに現状の事業環境との整合性を失っているケースも少なくない。

従来の人材配置は、比較的安定した事業構造を前提として、定義された職務に対して必要なスキルを持つ人材を配置するという設計であった。このモデルは、職務と求められるスキルの対応関係が長期間維持される環境では合理的であった。しかし、求められるスキルや役割が短期間で変化する現在では、固定的なポジション構造を前提とした配置では、戦略転換に組織が追随できない。
実際、多くの企業では、社内公募制度やキャリア申告制度を導入しても、人材が十分に動かないという悩みを抱えている。移動が個別調整や上司判断に依存し、事業戦略にもとづく再配置に結びついていないケースも少なくない。結果として、成長領域では人材不足が続く一方、既存領域では能力を持て余す人材が滞留し、「人が足りない」と「活かしきれていない」が同時発生している。

こうした課題の背景には、スキルや職務を固定的に捉える人材配置の前提がある。過去の連載インサイトではスキルではなく「ケイパビリティ」という概念の重要性について述べてきた。事業環境の変化に伴い企業が求める能力は継続的に更新されるため、組織は必要なケイパビリティを戦略に応じて再配置していく必要がある。この能力の再配置を企業組織内で機能させる仕組みがタレントマーケット、すなわち社内労働市場である。年に1度の定期異動だけでは、このような動的な再配置は実現しにくい。タレントマーケットにおいて重要なのは「企業が求めるケイパビリティ」と「人材が持つ、あるいは獲得しようとしているケイパビリティ」を動的かつ継続的に接続できる制度を整えることである。
この仕組みが機能すれば、戦略転換時に必要な能力を迅速に再配置できるだけでなく、部門間で生じている人材不足と人材過剰の同時発生を是正することも可能となる。結果として、挑戦と学習の循環が生まれ、組織全体のケイパビリティは持続的に拡張されていく。したがって、タレントマーケットは人事施策の一環ではなく、人的資本経営を実装段階へ進めるための経営のインフラとして位置付ける必要がある。

第2章 社内流動性を阻む日本企業の構造的課題 ― なぜ流動性が生まれないのか

日本企業で社内流動性が十分に機能しない背景には、個人や文化の問題というよりも、長年形成されてきた制度構造上の要因が大きい。ここでは、日本企業において流動性が生まれにくい背景である制度構造の課題を整理する。

職務の構造課題
まず、職務が明確に定義されないまま人に紐づくことで、ポジションが固定化する傾向がある。本来は再設計されるべき役割が、既存人員を前提として維持されるため、組織は徐々に肥大化する。結果として、ポジションの再配置よりも現状維持が優先されやすい。

評価・インセンティブの構造課題
また、ジョブ型制度や複線型キャリアを導入していても、評価や処遇の運用が従来の年功的構造や管理職中心の設計から十分に脱却していない場合、制度は形式にとどまる。専門職ルートが存在しても、実質的な報酬水準や影響力が伴わなければ、キャリアの選択肢として機能しない。
さらに、部門業績と管理職評価が強く連動する設計では、優秀な人材を他部門へ送り出す合理性は弱い。部門最適が強化される一方で、全社視点でケイパビリティ最適配分は後退する。

情報可視化の構造課題
加えて、ポジション要件や期待水準が明確に可視化されていないことも、社内市場の未成熟につながっている。どのポジションでどういった価値創出責任が求められているのかが共有されなければ、人材は合理的に移動できない。

これらの問題は文化的要因に見えるが、その多くは制度設計の帰結である。したがって、流動性を高めるには、文化変革に先立ち、制度構造そのものを再設計する必要がある。

第3章 マッチングを構成する6つの要素と時間軸設計

ポジションと人材のマッチングは、単なるスキル一致だけでは捉えきれない。
実務上は、人材の配置後のパフォーマンスは「能力」「志向」「条件」「状態」といった複数の観点によって左右されると考えられる。本章ではこれらを整理し、少なくとも六つの要素が複合的に作用するものとして捉えている。
具体的には、①専門スキル、②ソフトスキルといった能力に加え、③価値観、④キャリア志向といった志向の要素、さらに⑤働き方の条件、⑥エンゲージメント状態といった要素である。
これらの要素の組み合わせによって個人が組織内でケイパビリティを発揮できるかが決まる。したがって、マッチングを設計する際には、これらを総合的に捉える必要がある。

重要なのは、六つの要素すべてを配置時点で完全一致させることではない。実務上は、配置時点で不可欠な要素と、着任後の育成や対話、オンボーディングによって補強可能な要素を切り分けることである。例えば、一定水準の専門スキルやソフトスキルは着任時点で求める一方で、新しい領域への適応や価値観理解、役割期待とのすり合わせなどは、着任後のマネジメントで補完することも可能だ。この切り分けが曖昧なままでは、過度に保守的な配置となり、結果として挑戦機会が閉じてしまう。

従来の配置は、Must=Canの静的整合を前提としてきた。すなわち、職務に求められる能力(Must)と現在の能力(Can)が一致しているかどうかを基準にする設計である。しかし、環境変化が速い現在では、この整合だけでは不十分である。
必要なのは、将来の時間軸を内包したマッチング設計である。すなわち、現時点での能力だけでなく、挑戦意欲や成長可能性を踏まえ、一定のギャップを許容することである。また、能力がポジション要件を上回る場合には、より発揮できる場へと再配置する制度の柔軟性も求められる。
タレントマーケット=社内労働市場におけるマッチングとは、完成形の人材を当てはめる作業ではなく、本人のケイパビリティの拡張性・柔軟性を前提として仕組みを設計することである。

第4章 制度(ハード)とマネジメント(ソフト)の両輪設計 ― ケイパビリティを実装する制度変革

では、タレントマーケットを機能させるためには、具体的にどういった制度設計上の考慮が必要か。
タレントマーケットを成立させるためには、人事基幹制度(等級・評価・報酬)のいわゆる制度インフラとなる「ハード」部分の仕組み設計と、対話・マネジメントという「ソフト」の施策設計を同時に見直す必要がある。

等級制度
等級制度における論点は、いかに序列の概念から脱却できるかである。本来、等級制度はどの範囲の価値創出責任を担うかを示す構造である。ただし、それは上位等級へ一方向に上がっていく階段として設計されるべきものではない。
重要なのは、個人の挑戦意欲や専門性だけでなく、ライフステージやライフワークとのバランスも踏まえながら、責任範囲を柔軟に調整できる可動性である。責任を拡張する上方向の移動だけでなく、専門領域を変える横方向の移動や新しい領域への挑戦といった斜めの移動、さらには一時的に責任範囲を調整する下方向の移動も含めて設計される必要がある。
この可動性を制度として担保することで、降格がネガティブなイベントではなく、その時点の能力発揮や挑戦、ライフステージに応じて責任範囲を最適化する選択肢として位置づけられるような制度とすべきである。

評価制度
評価制度における論点は、ポジションと人材のマッチ・アンマッチをどのように従業員本人にメッセージングできるかである。しかし多くの場合、評価は報酬水準を決定するための治具として運用されており、ポジションとの適合度を率直に伝える機能が弱まっている。
本来、評価は報酬決定のための装置である前に、現在のポジションとの適合度や能力発揮の状態を本人が正確に理解するためのフィードバックであるべきである。評価が報酬と強く結びつきすぎれば、マッチングの状態を率直に伝えることが難しくなり、結果として新たな挑戦や配置の見直しを阻害してしまう。

報酬制度
報酬制度における論点は、価値発揮している人材やプロセスを誰がどのように特定し、報酬還元できるかである。多くの企業では、報酬が現在のポジションにおける短期的成果と強く結びついているため、新しい領域への挑戦や配置転換は評価リスクを伴うものとして認識されやすい。従業員にとって挑戦を合理的選択にするためには新しいポジションへの移行期において、短期的な成果だけでなく能力拡張の過程も一定程度、評価対象に含める必要がある。そうすることで、挑戦や越境が「損をする選択」ではなく、納得感のあるキャリア選択として成立しやすくなる。

マネジメント(運用)
ここまで、人事基幹制度(ハード)を整える論点について述べたが、それだけでは十分ではない。この制度の運用上のキーとなるドライバーは人事部門ではなく現場の管理職である。
マネージャーは単なる業務の管理監督者ではなく、会社が将来求めるケイパビリティを自部門の仕事と人材育成に結びつけて考える存在でなければならない。また、社内労働市場の意義を理解し、自部門最適ではなく、全社最適の観点から人材を育成し、必要に応じて送り出す役割も求められる。

マネージャー教育は、評価面談技術の向上やコーチング等に限らず、会社にとって将来どのようなケイパビリティが求められるのかを常に理解する未来思考と、流動性を前提としたマネジメントの考え方を体得させる設計である必要がある。

また、人材の抱え込みの解消も、制度と運用の両面で取り組む必要がある。部門長評価に人材循環への貢献を組み込むと同時に、送り出すことが組織全体の価値創出につながるという意味づけを共有することが重要である。
制度が挑戦を許容し、マネジメントがその挑戦を支える。この両輪が揃ったとき、タレントマーケットは単なる制度にとどまらず、組織の行動様式として定着していく。

第5章 まとめ

タレントマーケットは、単なる異動制度の高度化ではなく、ケイパビリティを最適配分する社内労働市場の再設計である。固定配置から動的にケイパビリティを定義しマッチングする世界観へと発想を転換し、等級・評価・報酬を時間軸で再構成する。同時に、マネージャーの役割を再定義し、挑戦を合理的選択に変える。
制度と対話を同時に設計することで、組織は持続的にケイパビリティを拡張できる。
これこそが、人的資本経営を実装段階へ進めるための条件である。

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