人的資本経営の実現に向けた「動的人材ポートフォリオ」の構築方法

インサイト
2023.11.06
  • 人的資本経営
  • 経営戦略/経営改革

執筆者情報

  • 久保田 勇輝

    Principal

はじめに

昨今、企業価値向上に向けて、多くの企業が「人的資本経営」に向けた取り組みを進めている。無形資産により企業価値を計る世界的な動向を踏まえ、日本では2023年3月期決算から人的資本情報の有価証券報告書への記載が義務付けられた。ただ、「人材を資本として捉え、その価値を最大限に引き出す」という人的資本経営の本質の実現に向けて、手をこまねいている企業は多い。今後、人的資本経営の高度化のポイントとなるのは、人材を量ではなく質で捉え、長期的な戦略に立った適時・適切な投資を惜しまないことである。
本インサイトでは、人的資本経営の実現に向けて重要となる「事業戦略と人材戦略の連動」をテーマに、実現のカギを握る「動的人材ポートフォリオ」の構築方法について解説する。

「人的資本経営」とは

経済産業省は「人的資本経営」を「人材を『資本』として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方」と定義している。人的資本経営が重視される背景や基本的な考え方については、「人的資本経営が重視される理由と実現に向けたポイント」もご覧いただきたい。

アビームコンサルティングでは、この定義を3つの要素に分解して捉えている(図1)。

①人材を資本として捉える=「人材を量ではなく質として捉え、投資をすることで価値を向上する」
人材を量的(頭数や労務費など)ではなく質的に捉えなければ、より高度な事業戦略・経営戦略遂行はできない。また、同じ人材でも、スキルはさまざまな要素によって伸びしろがあるため、適切な投資によって、価値を現状以上に向上させることが可能である。要員計画において、現状の頭数や労務費などで判断する方法では、マネージャークラスを例えば5人調達する際、現状のマネージャーの報酬水準での調達となる。しかし、スキルを中心とした質で捉え、その後のトレーニングなどの投資も踏まえた要員計画を立案することによって、変動する事業環境をにらんだ機動的な配置が可能になる。

②その価値を最大限引き出す=「リソース不足が前提のため、事業・経営との連動に選択と集中し価値を最大化する」
企業内の人事施策を数え上げればキリがない。しかし、要員には限界があり、全てを網羅的に実施することはできないばかりか、最低限行うべきプライオリティの高い施策すら完遂できないという事態に陥り、事業、ひいては経営に対して負のインパクトを与える結果になりかねない。

そこで、人的資本の価値を最大化するためには、現状のヒューマンリソース不足を前提に、実施すべき施策の「選択と集中」を行い、今何をすべきなのかを見極める必要がある。その判断の基準となるのが事業と経営の連動であり、ビジョンや戦略をより具体化することが、精度の高い選択と集中を可能にする。

③中長期的な企業価値向上につなげる=「人材投資は5年以上先に向けての投資、そのために事業とビジョンの解像度を上げる」
上記で述べたように、事業と経営を連動させ、適時適切な人事施策に投資していく際、人材投資は、必要な人材の採用・育成に時間がかかることが常であり、5年以上先に向けた投資になることがほとんどである。今年の事業のために投資しても、成果が出るのは先であり、ズレが生じてしまうことを認識しておく必要がある。5年先、場合によっては10年先に事業や経営がどうなっているのかについて予測し、より解像度の高い人材投資を今行う必要がある。

 

図1 人的資本経営の捉え方 図1 人的資本経営の捉え方

経営・事業と連動した人材戦略のカギを握る「動的人材ポートフォリオ」

人的資本経営を実践する際に重要な論点のひとつとなるのが、「事業戦略と人材戦略の連動」である。
人的資本経営の必要性をまとめた経済産業省の「人材版伊藤レポート2.0」にも、「人材戦略を経営戦略と連動させながら、どう実践していくか」がポイントとなることが明確に述べられている。ただ現状では、多くの企業の統合報告書などを見ても、人材戦略に関わる部分は「人材育成に取り組む」といった表記にとどまっており、具体的な事業戦略の達成に向けて「どんな人材が、いつどれだけ必要で、さらにその達成のためにはどのようなマテリアリティ(重要課題)があるのか」といった事業と経営の連動が明確な例は少ない。「経営と事業が連動した人材投資」の重要性は認識しているが、経営企画部門、事業部門、人事部門などそれぞれの部門間に隔たりがあり、どのように進めていくかが分からないというのが実情だろう。

そこで明確にしなければならないのは、「特定の事業や経営戦略を成功に導くために重要な人材上の課題は何か」を抽出することであり、それを解決する人材戦略を策定することである。

そして、事業戦略をアジャイルに推進していくため必要となるのが、本インサイトのテーマである「動的人材ポートフォリオ」の存在である。

事業目線で人材マテリアリティ抽出を行えば「どこの人材が不足しているのか」「どこの人材の生産性が低いのか」などが明らかになっていく。このときに、ある特定の事業の人材に関する状態を可視化し、さらにはTo-Be(将来像)とのギャップを把握する。これが「動的人材ポートフォリオ」の役割だ。可視化とギャップ把握により、これまで認識が合わなかった事業部門と人事部門は、共通認識が生まれ、解決に向けた生産的な会話できるようになる。

ここで重要なのが「動的」という観点である。なぜなら、事業戦略の進捗に従って人事計画・施策が変化するだけでなく、活用すべき人材の構成やスキルは、採用や離職といったステイタスの変化、育成や反対にスキルの陳腐化などにより、刻々と変化する。それらをタイムラグなく把握し、アジャイルに対応する必要があるからである。

「動的人材ポートフォリオ」を構築し、随時人事施策の状況を補足することによって、現在とTo-Beの人材ギャップを認識し、それに対して人事戦略をアジャストしていくことができる。

人材ポートフォリオのフレームワーク「人的資本経営ストーリーボード」

では、実際に「動的人材ポートフォリオ」をどのように構築していくのか。ここからは、刻一刻と変化する進捗と状況をリアルタイムに把握し、To-Beとのギャップを埋めていくのに欠かせない「動的人材ポートフォリオ」の構築方法について、具体的に掘り下げていく。

「動的人材ポートフォリオ」を構築する前提として、企業の課題をあぶり出し、マテリアリティを特定する必要があるが、われわれはそこで有効な「人的資本経営ストーリーボード」というフレームワークを提供している(図2)。これによって、今自社のどこに問題があって、どこから着手すべきか、どのような施策にブレイクダウンしていくべきかが明らかになる。ポイントは下記に示す通りだ。

①目指すべき姿の定義
まずは自社のパーパスやビジョンを念頭に置きながら、短中期・長期それぞれの観点から課題の洗い出しを行っていく。シート右側にある「事業戦略(短中期)」に記載するのは、5年・10年先を見通して事業戦略に照合することによって、どのような課題があるのかをあぶりだし、それに必要な人材ポートフォリオについて考察していく。

一方、シート左側「サステナビリティ目標(長期)」では、事業に関係なく自社を存続・維持・発展させていくために必要な目標とアクション(アビームコンサルティングでは労働人口確保、イノベーション創出、後継者育成など8つの観点を設定)についてまとめる。

②人材マテリアリティの定義
①の内容をもとに、人材マテリアリティ、すなわち人材における優先課題を確定していく。なお、こうした課題抽出の検討では、20個、30個と実に多くの課題が噴出する。ただ、対応できるリソースを考えれば選択と集中を行わざるを得ないため、経営層や各事業部のトップとコミュニケーションを取りながら、3〜4個に絞り込んでいくことになる。

③ステークホルダーからの期待を理解/④人的価値創造ストーリーの検討
ここで、絞り込んだ優先課題が、スローガンやお題目になってしまっては意味がない。そこで③④の項目では、達成された状態を具体的なKGIとして定め、そこにたどり着くための人材戦略・KPI・人事施策へと落とし込んでいく。これらが、自社の人的資本経営ストーリーの骨格となっていく。
この時、自社で見定めた人的資本について開示するか否かについてもポリシーをすり合わせておく必要がある。判断基準となるのは、どのようなストーリー性を持たせながら開示していくのか、自社に対するステークホルダーの期待・理解はどのようなものか、といったものになる。またそのほかにも、今後のコーポレートガバナンス・コードの動向にも目を光らせ、開示項目を見極める必要があるだろう。

以上、ストーリーボード作成における注意点をまとめると、以下4つに集約できる。

①経営と事業、2つの観点から、本当に取り組むべきMustの問題点を定める。
②目標を数値化し、重要度を可視化する。
③施策の棚卸しをして、達成すべきものに集中する。
④開示においては義務対応だけではなく、自社の魅力を伝えることも意識する。

図2 人的資本経営ストーリーボード 図2 人的資本経営ストーリーボード

「動的人材ポートフォリオ」の作成・構築時に起こる課題の乗り越え方

ここまで「動的人材ポートフォリオ」をいかに構築していくべきかをまとめてきた。改めて取り組み時の注意点を含めて整理してみたい。

事業戦略と人事戦略の連動を行うに当たっては、2つの課題がある。それは「事業上の要望そのままに応えるのは困難(欲しい人材を集めようにも量・質ともに集められない)」という問題、そして「整理している間に、2年など時間がかかり、To-Beが変化してしまう(すべての要望に応えるための整理を行うと実現のスピードに追いつかない)」という問題だ。

こうしたことを起こさせないためにも、「動的人材ポートフォリオ」の作成・構築においては「すべて可視化するのではなく、事業上で取り組み優先度の高いテーマに絞り込み、クイックにつくっていく」「欲しい人材そのものを求めるのではなく、欲しい人材になり得るポテンシャル人材も見定めて対象の人材を投資対象に磨き上げる」「テクノロジーを積極活用し、効率的・効果的にポートフォリオを可視化し方向性を立てる」。これら3つの考え方が非常に肝心である。

以下、図3が「動的人材ポートフォリオ」の完成のイメージ図である。

図3 「動的人材ポートフォリオ」の作成イメージ 図3 「動的人材ポートフォリオ」の作成イメージ

ご覧の通り、縦軸「ロール」には戦略遂行に必要な人材像としての具体的な職種などが並び、各項目内で「ポテンシャル→即戦力→リーダー」のレベル感で大別されている。横軸では、部門ごとに各ロールの人員を振り分ける。これによって目標ギャップとリソースシフトやリスキル(再教育)、場合によってはアップスキル(高度化)候補の母集団が可視化できる状態となる。

ただ、こうした人材ポートフォリオ作成・構築を内製するのは容易ではない。アビームコンサルティングでは、ポートフォリオ作成をシステム化し、例えばロールとスキル分類のひも付けにAIを導入し、従業員のキャリア面談シートといった文書データから、その中に記述されている経験やスキルをAIが自然言語処理によってテキストマイニングで抽出、「その人材がどのようなスキルを、どれくらいの習熟度で持っているのか」をあぶり出して人材ポートフォリオに集約するといった仕組みづくりも行っている。これによって人材のコンピテンシー(行動傾向、志向)も適正に把握できる。

事業環境の変化に追随することが求められる現在、企業は固定的なスキルより、前向きな意識や新しいことに対するキャッチアップ能力など、人材のポテンシャルに着目する局面が増えている。人材の評価は、成果を上げる力はスキルだけでなく、組織に対するエンゲージメント(愛着心、思い入れ)やコンピテンシーで測定する時代が来ており、今は明確ではないポテンシャルをあぶり出すには、人材の心理や行動データまでをも含めた人材ポートフォリオを構築してリソースの母集団を充実していくことが、今後ますます人事戦略上重要になるだろう。

ここまで事業からのニーズに対してどのように人材を充足させるかについて述べてきたが、人材の心理や行動データに至るまでテクノロジーを用いてデジタル化し、それによって作成された動的な人材ポートフォリオの管理を軸に、マテリアリティの優先順位を意識して人材戦略実行のスピードを上げていただきたいと考える。
アビームコンサルティングは、今後も企業の変革パートナーとして、「人的資本経営ストーリーボード」を活用した事業課題を解決するための人材マテリアリティの特定や、生成AIなどの最新のテクノロジーを活用した「動的人材ポートフォリオ」の構築支援など、経営・事業と連動した真の人的資本経営の実現に向けて貢献してきたい。

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