拡張人的資本経営は、CHROの役割と意思決定アプローチを根底から再定義する。これまで人事の判断は「経験」や「感覚」に依存する部分が大きかったが、生成AIの活用によって、膨大なデータを瞬時に分析し、複数のシナリオを提示できるようになった。そうした中、CHROの役割は経験で判断する「判断者」からAIへの「問いを立てる設計者」へ移行しつつある。AIが示す分析は“答え”ではなく“選択肢”であり、その中から自社の戦略、文化、社会的文脈に照らして何を採用するかを決定することが、CHROの新たな意思決定となる。
象徴的な事例として、取締役会や経営戦略会議の長年の議事録、社内データ、最新の外部情報をAIに学習させ、十数の異なる人格をもつAIを経営会議に同席させている企業がある。これらのAIは事前に相互討議を行い、多面的な論点と将来シナリオを整理して提示する。経営陣は、その複数の選択肢を起点に「自社が進むべき道」を見極める。ここでAIは意思決定を肩代わりするのではなく、前提と視点を拡張する“知的補助線”として機能する。提示された多様な未来像を前に、CHROがどのシナリオを選択し、どの人材群に投資し、どのスキルを再配置するかを設計する—つまり、問いを磨き、意思決定の質を高める力こそが、拡張人的資本経営時代のリーダーシップの核心である。
意思決定のアプローチが変化することで、CHROの役割自体も大きく変わる。CHROは人材管理・オペレーションの主導者ではなく、データとAIを駆使して企業価値を創造する「戦略的アーキテクト」へと進化することが求められる。この新たな役割を担うCHROには、AIモデルを用いて将来必要な人材ポートフォリオを予測し、人的資本投資のROI(投資利益率)をシミュレーションし、個人レベルで最適化された施策を設計・実行する能力が不可欠である。これにより、CHROはCEOや取締役会に対して定性的な主張ではなく、「このリスキリング投資は生産性をY%向上させ、Zドルの収益増が見込まれる」といった、データに裏打ちされた事業ケースを提示できるようになるだろう。
この変化は、経営陣における力学の変容も意味する。従来、CFOが「財務データ」という共通言語を通じ大きな影響力を持ってきたのに対し、CHROが扱う人材や組織文化は定量化が難しいとされてきた。拡張人的資本経営は、無形資産を「定量化」するツールをCHROに提供する。すなわち「人材・組織の定量化」は、CHROにCFOと対話するための新たな言語を与え、人的資本を企業の戦略的中核へと押し上げる力となる。