ヤマハミュージックジャパンの変革事例にみる、顧客起点のライフタイムバリュー向上を実現する戦略とは?

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2025.07.28
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事業成長に向け、顧客と継続的により良い関係を築きたいと考える企業は多い。しかし実際には、せっかく保有している顧客基盤を有効活用しきれず悩んでいる企業も多いのではないだろうか。
株式会社ヤマハミュージックジャパンでは、「顧客ともっと繋がる」という方針のもと、LTV(ライフタイムバリュー=顧客生涯価値)を顧客起点で捉え直すという独自のアプローチを通じ、リカーリングビジネスモデルへのシフトに向けて動き出している。本稿では、その変革に向けた視点と具体的な施策のポイントについて、詳しくご紹介する。

執筆者情報

  • 久保田 圭一

    Principal
  • 齋藤 直毅

    Senior Manager

1.ヤマハの抱える背景・課題

商品販売から「顧客ともっと繋がる」ビジネスへ
購入後の顧客体験価値を高めライフタイムバリュー(顧客生涯価値)向上を目指すには

株式会社ヤマハミュージックジャパン(以下、ヤマハミュージックジャパン)は、ヤマハの国内販売会社として、ヤマハ製品の卸販売からマーケティング、音楽教室事業、直営の小売販売・音楽教室運営、各種サービス提供までを展開する企業である。

ヤマハグループでは2019年度から2021年度までの中期経営計画「Make Waves 1.0」で4つの重点戦略の1つとして、「顧客ともっと繋がる」を打ち出し、その中でライフタイムバリュー(顧客生涯価値)向上への貢献を掲げた。2022年度から2024年度までの中期経営計画「Make Waves 2.0」では、「顧客と深く長くつながるサービスを提供する」として、ライフタイムバリュー(顧客生涯価値)向上に向けた具体的な施策を立案した。

社会環境の変化の中で事業基盤を強化するには、顧客と深く、長く繋がることが極めて重要であるという考えだが、その背景には、従来の商品の製造・販売を中心としたビジネスモデルから、商品販売後にも継続的な利益を得るリカーリングビジネスへの変革の必要性があった。つまり商品販売だけではなく購入後の顧客体験をきちんと設計し、そこにもマネタイズポイントを置くことでライフタイムバリュー(顧客生涯価値)を向上させる戦略へのシフトが必要だったのである。

では、具体的にどうすれば良いのか。
ヤマハミュージックジャパンでは、大きく3つのアプローチを行った。

2.課題へのアプローチ

2-1 LTV向上に向けた戦略の変革

グループ共通の方針策定と顧客の“体験価値”に着目した新たな戦略目標の設定

まず、ヤマハグループ全体の戦略として、購入後の顧客体験に関わるサービスを実施する際の基本となる、グループ共通の考え方・方針を策定した。この中で、顧客のライフタイムバリュー(顧客生涯価値)向上を目指すにあたりヤマハ・顧客双方の視点での目指すべき姿とその実現に向けた指標を整理し、その指標を基準にサービスを検討していくことにした。

ライフタイムバリュー(顧客生涯価値)の名が示す通り、顧客の生涯の中にはその商品・サービスとの接触機会が複数存在する。例えば幼少期に親に連れられてピアノを習い始め、受験で離脱したものの学生になって今度はバンドを始める、子どもが生まれたら一緒に楽器を楽しむ、定年後の趣味として再開するなど。そのようなライフステージごとの機会に、顧客基盤に蓄積された情報を活用することで顧客に最適なサービスを提供しアップセル・クロスセルを促すことで、顧客の生涯を通じて自社の利益を拡大させていくという発想を持つ必要がある。

この時、ライフタイムバリュー(顧客生涯価値)の「バリュー」とは一般的に1人の顧客から得られる収益のことであり、当然それが大事なことであるが、一方でそれは完全に企業側のロジックであるとも言える。

では、顧客側のロジックで考えるとどうだろうか。
顧客にとっての「バリュー」とは、それにより顧客自身の課題や不満が解消され、何らかの理想が実現できることである。つまり楽器の場合は楽器の購入そのものではなく、楽器を使って上手に演奏できることにより得られる達成感や、その結果“周囲から褒められたい”という承認欲求が満たされることなど、体験価値やその先にある感情価値のようなものこそが「バリュー」である。ヤマハではこれを「夢の実現」という言葉で表現し、顧客視点の「目指すべき姿」に据えた。

ところで、この顧客視点の「目指すべき姿」を実現するには、「楽器が思うように弾ける」という充実感が非常に重要になる。顧客にとってのバリューを生み出すには、楽器が思うように弾けなければいけないのだ。そのためには、当然練習しなければならない。そう考えると、この「練習すること」に代表される「行動量」が実は重要なKPIになることがわかる。そして、練習により少しずつ楽器を扱えるようになると、「より上位機種を買おう」「ピアノの調律をしよう」など、結果的に企業側の求めるバリューにつながっていくのである。

つまり、企業側のロジックで考えるライフタイムバリュー(顧客生涯価値)とはあくまで受け手側の話であり、最初に重視すべきはあくまで顧客側のバリューである体験価値なのだ。これをもとにバリューを構成することが非常に重要である。あとは、それがきちんと企業の事業にはね返ってくるメカニズムを構築すればいい。

このようにヤマハでは、ライフタイムバリューを「ヤマハにとっての顧客生涯価値(≒売上)と、顧客にとってのヤマハと繋がる価値(≒体験価値)の双方を指すもの」と定義しなおし、これをライフタイムバリュー(顧客生涯価値)向上に向けた取り組みの根底となる考え方として根付かせている。

図1 ヤマハミュージックジャパンが考えるLTV/顧客ロイヤリティの構成要素

2-2 自社チャネルにおけるOMOの実現

「ヤマハミュージックメンバーズ」を活用した顧客体験の進化と自発的に動く組織への変革

グループ共通の方針や戦略目標は策定したものの、それだけでは往々にして動き出さない。そのため、次に必要となるのは実行主体まで落とし込むことと、以降も自発的に動いていく組織への変革である。顧客を起点としたライフタイムバリュー(顧客生涯価値)向上を目指し顧客と繋がるためには、デジタル技術を活用してオンラインとオフラインを融合させた店舗・教室の運営が非常に重要になるため、まず直営店舗を対象に、オンラインを組み合わせたOMOのモデルづくりと、その高度化を進めることとなった。

しかし一方で、現場では長年にわたり業務が個別最適かつアナログで行われており、業務効率化が必要な点も多く残っていた。効率化されていない業務の中では高度化する余力も生まれない。そこで、OMOの実現に向けて論点を設定しながら、この効率化と高度化に同時に取り組むことにした。

図2 OMO実現に向けたデジタル化のステップ

効率化と高度化を通じたOMOの実現には、カスタマージャーニーを基に顧客への提供価値を定義し、その価値を提供できる仕組みやスタイルを構築すること、そのために部門同士が適切に連携することなど、ヤマハミュージックジャパンとして自社のあり方を変える必要も出てくる。
具体的には、以下のような5つのテーマを設けて変革が進められた。

図3 OMO実現に向けた5つの変革テーマ

顧客と繋がり続ける起点としては、顧客ひとりひとりを認識できる自然な接点として「ヤマハミュージックメンバーズ(YMM)」のアプリを活用することとした。以前から存在するアプリではあるが、コンテンツやメニューを充実させて活性化し、一人でも多くの顧客に登録してもらうことで、顧客基盤の強化を図る方針だ。

組織については、顧客を起点としたライフタイムバリュー(顧客生涯価値)向上に向けPDCAが回るような組織へと見直しを図った。従来の商品やチャネルを軸とした組織構造ではどうしても連携不足が起き、顧客体験にとって最適とは言えない状態が発生する。これを改善するため、チャネルや商品を軸とする組織に対して顧客軸の部門を横串で設置し、その組織が現場を支援することとした。また2024年4月には直営の小売店・音楽教室運営を行う株式会社ヤマハミュージックリテイリングと合併し、卸販売・小売販売施策の連携とサービス事業の拡充を図っている。

さらに、顧客視点・企業視点双方を連動させたKPI体系を構築することで、企画部門と現場が一体となり顧客の体験価値向上に立脚した取り組みを加速させていくことも進めている。このように、現場が能動的に動くように変えていくことも重要なポイントである。

2-3 顧客と繋がり続けるためのサービス創出

顧客インサイトに寄り添い、顧客との継続的な接点をデジタルでサポートする新サービス、「ヤマハミュージックメンバーズプラス」を提供開始

ライフタイムバリュー(顧客生涯価値)向上に向けた3つ目のアプローチとして、ヤマハは顧客起点のライフタイムバリュー(顧客生涯価値)向上の戦略目標となる顧客の活動量をサポートするためのサービスを立ち上げた。

音楽に限らず、例えばカメラなどの趣味でもそうだが、多くの人は「高価な機材を買えば上手くなる」と期待する。下図にも示すとおり、ユーザーのモチベーションは楽器を購入した直後が最も高い。しかし仕事や日常の忙しさに流され、気づけば練習しなくなり、そのまま休眠、さらには完全に離脱してしまうことが多い。継続して練習しなければ上達はしないし、たとえ休眠から戻ってきたとしても、継続的な熱量を維持できなければ顧客にとってのライフタイムバリュー(顧客生涯価値)の向上にはつながらない。

図4 継続期間を延ばすための重要成功要因

そこでヤマハは、楽器購入後の熱意が冷めないよう、オンライン上で楽器演奏をサポートするサービス「ヤマハミュージックメンバーズプラス」の提供を開始した。現在はギターおよび鍵盤楽器向けに展開しているが、これは単なる演奏支援サービスではない。ヤマハが厳選した質の高いコンテンツを用意し、音楽教室講師や著名YouTuberなどによる丁寧なレクチャー動画やより音楽を楽しいと思ってもらえるための動画など、ヤマハが厳選した質の高いコンテンツを提供することで、ユーザーが1人でもモチベーションを維持し続けられる環境を整えた。

さらに、「もっと上手くなりたい」というユーザーの意欲に応じて、リアルな音楽教室へ送客する一連のストーリーも想定。デジタルとリアルを融合させたOMO戦略により、ユーザーの成長をサポートしながらライフタイムバリュー(顧客生涯価値)最大化の実現を目指している。

図5 ヤマハミュージックメンバーズプラスの演奏学習動画コンテンツ(提供:ヤマハミュージックジャパン)

3.解決のポイントと今後の展望

「顧客と繋がる」秘訣は、顧客起点でのライフタイムバリュー(顧客生涯価値)再定義と実行に向けた組織変革

ヤマハミュージックジャパンではOMOによる店舗運用構築支援プロジェクトを通して、グループ会社や部門の間に存在したライフタイムバリュー(顧客生涯価値)向上に向けて目指す姿についての温度差解消に大きく踏み出すことができた。アビームによる目指す姿の素案の提示及び関係者との討議における合意形成を通じて、ライフタイムバリュー(顧客生涯価値)向上への考え方の整理や基盤ができたため、現在は、アーリー・スモール・ウィンのスタイルで、議論した成果を着実に実行に移している。

2023年12月には、直営店舗のポイントカードをアプリ化した。2024年9月段階で、来店顧客の半数以上が利用するようになっており、顧客情報と購入情報を紐づけることができるようになったという。

さらに2024年6月、横浜みなとみらいの直営店オープンと同時に、イベントのチケッティングもすべてデジタルで完了させることができるようになった。イベントの告知から申し込み、課金、チケット発行までがデジタル化され、スマートフォンでイベント会場に入場する。これによって、点と点でしかなかった顧客の行動パターンが把握できるようになり、顧客とのコミュニケーションが格段に深まることになった。

加えて、2024年8月には、楽器演奏をサポートするサブスクリプション型サービス「ヤマハミュージックメンバーズプラス」をスタートさせた。

「取り組みで成果が出始めたOMOによる直営店舗運用を効果的に活用することで、ヤマハのファンをさらに増やしていきたいです。音楽も楽器ビジネスもかつては欧米に解がありました。今、世界中どこにも手本がなくなっている中で、日本で新しい顧客体験や音楽の楽しみ方を生み出し、世界に発信していきたいと考えています」と、ヤマハミュージックジャパンの松岡氏は言う。

メーカー販社のリカーリングビジネスシフトへの挑戦である本事例における大きな解決のポイントとなったのは、ライフタイムバリュー(顧客生涯価値)を顧客起点で捉え直し、顧客の体験価値の実現というゴールに向けて「活動量の向上」という戦略目標を打ち立てたところにある。さらに、その戦略目標の実現に向けたOMO実現や新サービスの立ち上げと関連する組織のアップデート。これらのすべてが組み合わさって、はじめて実現に至る。

アビームコンサルティングでは、これらすべての過程に伴走し、お客様の変革をサポートしている。


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