人々の日々の生活を充実させるエンターテインメントや趣味の一つとして挙げられることが多いのが楽器演奏だ。楽器の種類はピアノ・バイオリン・ギター・ドラムなど幅広く、楽器演奏の目的も、プロを目指して本格的に練習に取り組む人から趣味の一環としてある程度のレベルまで上達できれば良い人など、人によって目指すべきゴール(=ミッション)は多様である。その中で、一定の出費を行い高価な楽器を購入する顧客の多くは、「練習を通じて自身の演奏レベルを上達させて他者に共有・賞賛されること」を求めていると言える。また、企業である楽器メーカーとしては「顧客が自社の商品・サービスを通じて演奏レベルを上げてもらい他者から賞賛されるという成功体験を通じて、その演奏ができる楽器・サービスを提供してくれた企業への愛着を増してもらい、アップセル・クロスセルや自社商品・サービスの他者への推奨を期待したい」ものである。
しかし、現実には高額な楽器を購入すれば自然と演奏が上達するわけではなく、練習が継続できず、購入した楽器がそのまま「箪笥の肥やし」になってしまうケースも多数存在する。そうした状態を打破するために、昨今のデジタル活用の潮流も受けて「アプリを通じた演奏学習支援」を行う企業も増えてきている。今回は、こうした楽器演奏の学習支援アプリを題材に、モードチェンジの壁を突破するまでの一連の流れを見ていく。
① オンボーディング(購入直後)の壁
楽器の購入直後は、一般的に顧客はその高揚感から説明書や入門書を読み込むことよりも、早速楽器のセッティングを行い思い思いの演奏を行うことで、自分の演奏レベルに合った楽曲を高音質で演奏できることに満足感を得る。しかし、すぐには難易度の高い楽曲を上手に演奏できないことや、周囲やインターネット上の上手な演奏とのギャップに気づき、自分の技術不足に悩みだす。こうした悩みに対して、自発的に演奏技術向上に向けた取り組みができる顧客は問題ないが、演奏技術向上に向けた打ち手を見いだせずにこの段階で早くも脱落してしまう顧客が存在する。
このように、購入直後のオンボーディング段階で適切なサポートを受けられずに離脱してしまう顧客に対して、企業は購入前(例:楽器の販促と併せて学習アプリの存在を周知)から購入直後(例:楽器の開封時の導線に学習アプリダウンロードのQRコードを設置)のタイミングで上達のやり方自体を理解していない顧客に能動的にリーチし学習サポートの必要性を周知させ、まずは学習アプリのダウンロードを通じて顧客接点を構築していくといった対応が求められる。
② 日常化の壁
購入直後のオンボーディング段階で学習サポートの重要性を認識し、アプリを通じて演奏技術向上に向けた学習を開始した顧客が次にぶつかる壁が、「日常化の壁」である。最初は、学習アプリのサポートを受けて基礎的な練習を通じて着実に上達していくことで更なる成長に向けたモチベーションを保つことができるが、次第に扱う楽曲の難易度が上がってくるとアプリのサポートがあっても上手く演奏できない/譜面通りに演奏はできているものの上級者と比較すると表現が覚束ないといった、新たな悩みにぶつかることになる。また、趣味の一環で演奏をする人は、日常生活の中で継続的に練習を行う時間を確保することが難しいというジレンマも存在する。その結果、「学習アプリを通じた練習の習慣化/日常化」を作り出すことができず、結果技術向上が頭打ちとなり演奏から離脱してしまう顧客も存在する。
このように上達に向けては練習の習慣化/日常化が必須であるため、企業としては顧客が練習を日常化するためのサポートを行う必要がある。また、サポートにあたっては顧客の演奏技術レベルに合わせた最適な対応をしていくことも重要である。例えば、「入門レベル:まずは片手/一部音階に絞った練習を行い、それが上手くできた時にはきちんと褒めることで次のレベルの練習へのシームレスな流れを作り出す」「初心者レベル:徐々に両手/譜面通りに演奏するための練習に切り替えていく」「中級者レベル:表現力の向上に向けて、上級者からのフィードバックや指導を受けられる場を設ける(学習アプリを経由して、リアルでフィードバックを受けられるイベントへの送客を行う)」などのサポートが考えられる。加えて、日常化に向けては個人の練習だけではモチベーションを保つことが難しいため、同じく上達を志す顧客同士のコミュニティを形成し、お互いが励まし合いながら共に上達していくサポートも考えられる。
③ ファン化の壁
一定レベルの演奏技術を身に付けた顧客を、自社商品・サービス・ブランドの愛好家へと至らせるための最後の壁が「ファン化の壁」である。一定レベルの演奏技術を身に付けた顧客は、より高レベルな演奏を追い求め、高価格帯の楽器への買い替えや楽器・演奏に関連する有料サービスへの登録などアップセル・クロスセルの行動を取るようになる。また、そうした上手に演奏できる楽器やその楽器を提供している企業へのポジティブな感情を抱くようになり、同時にその感情を企業に気づいてもらい、企業から個別にポジティブなフィードバックをしてほしい/商品・サービスについての自分の想い・要望を聞いてほしいという欲求が芽生えてくる顧客もいる。こうした欲求に応えることに成功し、企業へのロイヤリティが高まった顧客は、自社商品・サービス購入に留まらずユーザーの視点から商品・サービスのフィードバックをくれることに加え、インフルエンサーとして自社商品・サービスの魅力を他の顧客に正しく訴求してくれる広告塔の役割も担うこととなり、企業にとって非常に強力なサポーターと成り得る。他方、こうした欲求に対して企業から特段リアクションがなされないと、企業自身に対するロイヤリティが高まり切らず、楽器の買い替えなどのタイミングで他社商品にスイッチされてしまうリスクを抱えることになる。
そのため、企業としてはこの層に対して学習アプリという接点を皮切りに自ら積極的に各顧客に個別最適なコミュニケーションを図り、「企業と顧客」の関係性を超えて、「企業と企業のサポーター」という関係性を構築していくことが求められる。