事業売却は売却“後”が勝負─企業の未来価値を決める設計フェーズの真実

インサイト
2025.06.19
  • 経営戦略/経営改革
  • M&A
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執筆者情報

  • 松浦 洋平

    松浦 洋平

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はじめに:M&Aの「見えにくい急所」─それは最終契約書締結“後”の設計フェーズ

近年、企業価値向上の選択肢として、事業売却(カーブアウト)が再定義されつつある。従来の「不採算部門の切り離し」から、「経営資源の最適配置」や「ROIC(投下資本利益率)対WACC(加重平均資本コスト)の是正」、「ベストオーナーへの資産移転」など、より戦略的かつ前向きな位置づけに変化してきている。加えて、ESG(環境・社会・ガバナンス)対応やPBR(株価純資産倍率)1倍割れ問題とも連動し、企業の戦略的打ち手として事業売却が再評価されている。
しかし、現場に目を向けると、“前向きな売却”にもかかわらず、オペレーションの混乱、顧客の離脱、優秀人材の流出といった企業・事業価値毀損が後を絶たない。主因は、「売却を決める」戦略判断と、「売却をやりきる」実行の間に潜む、構造的な“非対称性”にある。
特に、DA(Definitive Agreement:最終契約書)締結からクロージング(Day1)までの移行設計フェーズ─この期間こそが最もリスクが集中するゾーンである。この期間に、どれだけ質の高い準備ができるかが、カーブアウトの成否を分ける。
本インサイトでは、企業の経営企画・財務部門、M&A・PMIを担うCxO・事業責任者の方々に向けて、カーブアウトにおける「設計フェーズの落とし穴」とその乗り越え方を具体的に提示する。

カーブアウトに潜む4つの構造的非対称性

アビームコンサルティングでは、これまで数多くのカーブアウト支援を行ってきたが、企業が直面する実務課題の根底には、次の4つの構造的非対称性があると考える。

1. 戦略と現場実行の非対称

売却は経営層が主導する戦略判断である。一方でDA締結後の実務遂行は、現場部門への一任というスタンスが多いのも事実だ。M&Aのクロージング前に買い手が対象会社の経営に関与したり、統合プロセスを先行したりすることは「ガンジャンピング規制」などにより制限されている。過度な情報共有や指示・命令のやりとりは、独禁法違反と判断されるリスクがあるため、現場での事前のすり合わせも困難であり、「90日後に突然Day1を迎える」事態も少なからず発生している。
そのため、Day1に向けた準備は、法務部門と連携した上で、形式的にも実質的にも指揮命令系統を明確に分離した設計が求められる。

2. 売却と統合の非対称

売り手は“事業の切り離しと引き渡し”に関心を置くが、買い手は“新体制での再構築と活用”に重きを置いている。互いに異なる視点から動いており、この溝が設計や意思決定の齟齬を招く。

3. 制度と実態の非対称

人事デューデリジェンス(DD)をはじめ、財務・法務・ITなどの各種DDが一通り実施されていても、人や組織、文化といった“実態”までは把握しきれないことが多くある。制度上は引き継がれていても、評価や昇格の運用、マネジメント層への裁量の与え方、現場での信任構造といった見えない要素は、紙に書くことはできても、実際に移すことはできない。
特に、ラインリーダーや現場キーマンが離脱した場合、見た目の人員が揃っていても、組織の中枢機能が実質的には失われた状態になる。

4. クロージングとEXITの時間軸の非対称

クロージングはあくまで法的な取引成立を意味するが、業務面での真の自立にはより多くの時間と設計が必要である。「EXIT」とは、TSA(Transition Service Agreement)終了とともに買い手が自立運営へ移行するプロセス全体を指している。
TSAとは、売り手企業が買い手企業に対して一定期間、販売、受発注、請求支払、在庫管理、顧客対応、会計処理、ITインフラの維持など、業務・IT・会計の支援を提供する契約である。
このTSAにより買い手の自立運営が一時的に支援されるとはいえ、EXIT終了条件の定義が曖昧なままでは、支援終了と同時に業務が止まるリスクが高くなる。この“実運用としてのEXIT”を設計できているか否かが移行の成否を分ける。

非対称性を乗り越える『3つの設計原則』

このような構造的非対称性に直面しながらも、価値を毀損することなく、むしろ企業価値を高めることに成功した企業も存在する。彼らに共通して見られるのは、実行フェーズを支える明確な設計思想、すなわち「3つの設計原則」に基づいたアプローチである。

原則①:「売却」とは“引き渡す行為”ではなく、“価値再創出の設計”である
価値ある売却を実現する企業は、対象事業を単なるノンコア資産ではなく、「次のオーナーが価値を再生産できる土台」と捉えている。そのためには、以下のような戦略的な“引き渡しプロセス”の設計が不可欠である。

  • ブランドや業界プレゼンスを踏まえた移行ストーリーの構築
  • 顧客向けのメッセージ統一と説明計画の設計
  • 買い手がすぐに運営できる状態まで整備されたオペレーティングモデル(TOM)

原則②:TOMは“業務分掌表”ではなく、“事業の再自立設計図”である
TOM(Target Operating Model)は、単なる業務一覧ではなく、事業を自立させるための“設計図”である。成功企業は以下の要素を丁寧に設計している。

  • 意思決定権限(価格設定、採用、契約締結など)の自立定義
  • 管理会計・IT・営業支援などの支援機能の再設計
  • 業務とシステムの依存関係を可視化し、代替手段を明示

こうしたTOMは、「買い手が自走するためのマニュアル」として機能する。

原則③:TSAは“一時支援”ではなく、“移行完了までの設計図”である
TSAは、単なる“支援契約”ではなく、買い手が独立運営できる状態に至るまでの“移行プロセスの設計”である。成功企業は以下の3点を明確にしている。

  • EXIT条件の明確化:「○ヶ月」ではなく、「何ができたら終わりか」で定義(例:単独で月次決算完了)
  • 業務別KPIとマイルストーンの設定:請求精度、一次対応率など、定量的に進捗を確認
  • 段階的な委譲プロセス:売り手主導→買い手主導→買い手単独へと段階移行を設計

『3つの設計原則』だけでは防げない、現場で起こる5つの誤解

非対称性の構造を理解し、前述の「3つの設計原則」を掲げたとしても、現場には“誤解”というひずみが現れがちだ。そこで、次に重要となるのが、実行設計として、どう誤解を潰しておくか、である。ここでは、現場でよく見られる5つの誤解と、それを防ぐためにどのような実行設計が求められるのかを解説する。

領域 よくある誤解 実行設計
契約移転 「通知すれば移る」 実際には、多くの契約が通知のみで移転されることはなく、取引先の書面承諾や再契約が必要なケースが大半である。特に親会社名義の契約や集中購買契約は移転が複雑化する。まず、契約を「通知型」「承諾型」「移転不可型」に分類。そのうえで、法務と事業部が連携し、再契約が必要な項目には優先順位を設定。主要顧客に対しては営業担当による事前説明と、法務文書による正式手続の“二段階アプローチ”を採る必要がある。
従業員移管 「制度と給与が移れば完了」 形式的に同条件の給与や制度を提示しても、実態としての評価基準や裁量権限、意思決定プロセスが変わることで、従業員にとっては“別組織”と感じられるリスクがある。特に中間管理職層が不安を抱えることで、統率が崩れる恐れがある。TOMの策定段階から、制度移管に加えて“裁量・評価・信任構造”などの暗黙知も可視化し、キーパーソンの役割明確化やリテンション策とセットでの再設計が求められる。
ブランド信用 「社名とWebが変われば大丈夫」 B2B領域では、ブランド変更に伴う“与信再審査”や“発注フローの停止”が頻発する。旧ブランドとのつながりが示されなければ、EDI(Electronic Data Interchange:電子データ交換)の再登録や新規取引申請に時間を要し、結果的に商流が止まるリスクがある。単なるブランド名の更新にとどまらず、営業主導で顧客別に会社紹介資料やFAQを整備し、経営層間での連携メッセージも含めた“信用再構築プロセス”を展開する必要がある。
TSA終了 「期限が来たら終わる」 TSAは形式的に期日で終える契約ではなく、業務上の“自立状態”が整ったうえで初めて終了すべきである。現場では「月次決算が回らない」「顧客対応が機能しない」といった状態で支援が終了し、重大な業務支障が発生するケースも見られる。TSAのEXIT条件は「状態ベース」で定義し(例:「請求書発行が買い手単独で完結」「問い合わせ対応のエスカレーションが5%未満」など)、KPIとマイルストーンを設定したうえで、買い手・売り手双方の進捗レビュー体制を組み込むことが必要である。
許認可 「法務がやってくれる」 業種や事業所によっては、個別に許認可や行政手続きが必要となる場合があり、担当部門間で責任の所在が曖昧だと、Day1に稼働できないというリスクが現実化する。これを防ぐために、PMO(Project Management Office)内に許認可分科会を設置し、業務単位でのライセンスマップを作成。当局との調整スケジュールを含め、各部門に明確な責任と対応タスクを割り当てて管理することが重要である。

まとめ:カーブアウトとは、“未来責任”の行使である

カーブアウトは“撤退”ではなく、「この事業は別のオーナーによってより価値が高まる」と信じ、未来に託す行為である。もちろん、その起点には経済合理性がある─ROICとWACC、資本効率や資産の選択と集中といった数値が判断を後押しすることは事実である。
ただ、売却の意思決定はあくまでスタートラインに過ぎない。問題は、その“後”をどう設計するかである。「売却をもって一連の対応は終わり」「売却後の支援対応を最小限に抑えたい」という認識もしばしば現実では見られやすいが、その短期合理性の積み重ねが、事業の立ち上がり不全や、顧客離脱、人材流出といった“価値毀損”に直結することは、過去の事例が繰り返し示している。
真に価値ある売却には、現場を巻き込んだ“構造の移行”と“責任の引継ぎ”が不可欠である。成功企業に共通するのは、「売る覚悟」ではなく、「渡した後の姿を描ききる設計力」への投資─この一点に尽きる。この実行力こそが、カーブアウトを“未来の戦略”へと昇華させる鍵である。

アビームコンサルティングでは、DA締結直後の設計支援から、Day1の立ち上げ、TSA移行、最終的な内製化まで、一貫して現場に寄り添った支援を提供している。法務・財務領域にとどまらず、「事業・組織・人」といった実務の中核にまで踏み込む支援スタイルが特徴である。売却を終点とせず、「移管後にこそ価値が立ち上がる」との未来視点のもと、移行を“やりきる”設計と実行を今後も支援していく。


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