学びの空洞化を理解するには、仕事が本来持つ二つの役割に立ち返る必要がある。仕事の役割は、成果を出すことだけではない。人を育てることもまた、仕事が担ってきた重要な役割である。企業にとって仕事は価値を生み出す単位であり、個人にとっては能力を獲得する機会である。一つの業務が、企業には成果を、個人には成長をもたらす。この二重性こそ、OJTを軸とする日本企業の育成モデルを支えてきた構造であり、生成AIはこの構造を揺るがしつつある。
学びの空洞化とは、生成AIによって業務や育成支援が効率化される一方で、従来の仕事や人との関わりに含まれていた学習機会が見えにくくなることである。この空洞化は、2つの形で現れる。
第1に、若手が仕事を通じて学ぶ機会が失われやすくなる。若手が担ってきた議事録作成、資料下書き、細かな調整といった仕事は、一見すると雑務に見える。しかし、それらはスキルが未熟な若手が組織に貢献し、社会人としての基礎を身に付ける入口でもあった。生成AIがこれらの業務を支援・代替するほど、若手は初期の価値発揮の場や、仕事を通じて学ぶ足場を失いやすくなる。
これらの仕事が学びの入口となり得たのは、その過程に学習機会が埋め込まれていたからである。議事録の作成で議論の論点を整理する力を、調査や資料作成で情報を構造化する力を、レビューと修正の往復で品質基準や判断の勘所を、相談のやり取りで文書には残らない暗黙知を、若手は少しずつ身に付けていた。成果を出すプロセスそのものが、育成のプロセスでもあったのである。
生成AIは、この構造を静かに変える。成果物は短時間で生み出される一方、そこに至る試行錯誤、上司への相談、レビューと修正の往復は大幅に圧縮される。企業から見れば成果物は残り、品質はむしろ向上することさえある。失われるのは成果ではなく、成果に至る過程に埋め込まれていた学習機会である。
では、AIで代替できる仕事を、育成目的で若手に残せばよいのだろうか。企業の視点に立てば、上記業務は、人が従来どおり担うことによる付加価値が相対的に低下している。それを育成目的だけで残すことは、限られた人的資源と時間を、価値創出につながらない活動へ投じることになりかねない。本人にとっても、AIの方が速く正確にこなせると知りながら担う仕事から、貢献実感や成長実感を得ることは難しい。取るべき道は、過去の仕事を残すことではなく、人が担うべき業務から逆算して経験そのものを再設計することである。
第2に、人との関わりを通じて学びを深める接点が希薄化しやすくなる。部下が生成AIに相談し、疑問を自己解決できるようになれば、上司や周囲との細かな接点は減りやすくなる。しかし、その接点は単なる用件処理ではなかった。そこでは、仕事の意味づけ、信頼形成、内省の促進が行われていた。人との関わりが減ると、上司や周囲との関係性が希薄化する。また仕事は処理すべきタスクに見えやすくなる。なぜこの業務を行うのか、顧客や事業にどうつながるのか、自分の成長にどう結びつくのかを理解しにくくなり、目的意識やモチベーションも生まれにくくなる。
この2つの問題に対処するには、育成をAI導入や研修の高度化だけで捉えるのでは不十分である。生成AI時代の育成に求められるのは、研修施策の見直しだけではなく、人がどのような業務を経験し、その経験を通じて何を獲得するのかという育成構造そのものの再設計である。CHROには、生成AI時代の新たな育成アジェンダとして、経験機会の再設計と学習支援の再設計が求められる。