AI時代の人的資本経営とCHROの新たな役割 第3回 AIと人間の共創がもたらすエンゲージメント変革

インサイト
2026.05.07
  • 人的資本経営
  • AI
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人材版伊藤レポート2.0の公表や有価証券報告書での人的資本開示義務化を経て、エンゲージメントサーベイや人材データ基盤の整備は、多くの企業で広く取り組まれるようになっている。
しかし、同じようにKPIを可視化しているようでも、企業が向かう先は二つに分かれている。データを可視化・報告することに留まる企業と、データを活用し本質的な課題に踏み込んだ施策までつなげている企業である。AIは、こうした企業間の差を一段と広げうる要因となる。
本インサイトシリーズ(全6回)は、AI時代の人的資本経営とCHROの役割を再定義し、人的資本の価値最大化に向けた方向性を提示するものである。
第3回では、エンゲージメントサーベイのデータ活用に焦点をあてる。AIは、スピード感のある意思決定や経営判断を支えるとともに、数値では捉えきれなかった社員の声や背景情報まで含めて活用できるようにし、現場管理職の判断や行動の質を高める役割を果たす。AIが変えるデータ活用の姿を、当社の支援事例を用いながら紹介する。

執筆者情報

  • 佐藤 一樹

    佐藤 一樹

    Director
  • 西川 裕美

    西川 裕美

    Senior Consultant

1. AIが分かつエンゲージメントデータ活用の格差

従来のエンゲージメントサーベイのデータ活用は、過去の結果をグラフ化し、現状を把握することに留まりがちだった。これは、進行方向を見るのではなく、バックミラーを見ながら運転している状態に近い。これに対し、AIを触媒とした「拡張人的資本経営(Augmented HR)」を実践する企業は、蓄積された膨大なデータから将来のボトルネックを予見し、先回りして手を打っている。
近年はデータを解釈し打ち手に変換するプロセスにAIをどう組み込むかによって、効果的なデータ活用ができている企業とそうでない企業の差が広がっている。急速に変化する経営環境のもとでは、完璧なデータモデルの完成を待つのではなく、不完全なデータからでもAIによって文脈を読み解き、経営としての意思決定や施策の精度を高めていく姿勢が求められている。

2. 「過去の情報」に基づく舵取りからリアルタイムな経営判断への転換

施策実行の遅延は、会社や調査そのものへの信頼低下につながるリスクを内包する

多くの企業では、エンゲージメントサーベイの結果が出てからスコア向上施策の実行に至るまでに、半年から1年を要することも少なくない。その間に行われる意思決定は、半年以上前の「過去の情報」に基づいて下されている。その結果、施策は現場の変化のスピードに追いつかず、十分な成果につながりにくい。
当社が支援した企業A社においても、こうした状況は、エンゲージメントサーベイにおける「経営陣への信頼」や「アンケートによる変化への期待」といったスコア停滞の背景の一つとなっていた可能性がある。この状態が続けば、エンゲージメントサーベイへの関心が薄れ、回答率の低下や、すべての設問で「どちらでもない」を選択するといった形で、回答の妥当性が損なわれる恐れがあった。

リアルタイムな経営判断を支える”補助線”としてAIを活用する

そうした中、AIは、意思決定そのものを代替するのではなく、論点整理と仮説形成を支援することで、経営判断の速度と質を高める役割を担う。スコアの変化、自由記述、社員の属性情報など周辺データを束ね、論点と優先度を早期に可視化し、次に聞くべき問いと打ち手候補を提示する。重要なのは、AIが前提となる情報を整え、選択肢を示し、比較しやすくする”補助線”としての役割を担う点である。
例えば、「当社では失敗が許容される」といったスコアが低下したとして、挑戦を奨励するカルチャーの中で生じた結果なのか、意思決定が硬直した組織構造の帰結なのかによって、その意味合いは大きく異なる。AIが提示する補助線をどう読み解き、どのような価値観で意思決定を行うかは、経営の責任であり、CHROを含む経営陣に求められる役割である。

3. 量的データは氷山の一角。AIとともにデータの範囲を拡張する

課題の解像度を高める質的データ活用

これまで人的資本情報の多くは、数値化しやすい「量的データ」として扱われてきた。しかし、組織の本質的な課題や個人の熱量は、スコアの裏側に隠れた「質的データ」にこそ宿っている。
例えば、エンゲージメントサーベイから「経営戦略の納得度」のスコアが低いことはわかっても、「なぜ納得していないのか」「納得していないのは具体的にどの戦略なのか」といった理由や回答者の意図まではわからない。
一方、AIに複雑な分析を委ねることができれば、人間はこれまで時間の制約から十分に扱えなかった「質的データの取得」に時間を振り向けられる。ここで重要なのは、「AIが導くのはあくまで仮説である」という点だ。仮説を取捨選択し、対話の場で確かめ、組織として受け止めるのは人間の仕事である。

AIを活用した社員インタビュー設計

前章で取り上げたA社では、エンゲージメントサーベイで明らかになった全社的な改善項目を深掘りするために、CHROが旗振り役となって、人事による社員インタビューを実施した。スコアや属性情報といった量的データに加え、自由記述や事業部長への簡易インタビュー結果をAIに読み込ませ、調査を深掘りするための社員インタビューの設問を設計した。
読み込ませた文字数は15万字以上に及び、AIが体系的に整理・構造化し、各要素間の因果関係を示唆する仮説を複数抽出した。これらの仮説群の中から、組織の現状に最も近いものを基点として、追加で社員へ問いかけるべき設問を設計した。
ここでのポイントは、必ず確認すべき「主要設問」と、対話の流れに応じて使う「深掘り設問」を切り分けて設計する点だ。インタビューでは、想定外の回答が出てくる。そのため、用意した設問リストを上から順番に聞くのではなく、主要設問の要点を押さえつつ、質問の仕方や順序を柔軟に組み換え、必要に応じて深掘り質問を行うのだ。これを半構造化インタビューといい、AIと人間が共創して良質な質的データを引き出すための有効な手法である。

社員インタビューから浮かび上がった経営と現場の認識ギャップ

A社における社員インタビューを通じて、エンゲージメントサーベイの設問に対する解釈が、経営と現場とで大きく乖離していることが明らかになった。
例えば「経営戦略」という言葉一つをとっても、経営に携わる立場であれば中期経営計画に示された事業戦略や財務戦略を想起するのが一般的である。一方、社員の視点では、日々の業務に直結する組織改編や働き方改革といった取り組みを指して捉えていることが分かった。このような認識のズレが存在する限り、経営陣が事業戦略や財務戦略をいくら熱心に説明したとしても、「経営戦略への納得度」のスコアは向上しにくいと予想される。
A社のように、社員の声を深掘りして理解する場を意図的に設けることで、経営と現場の認識のズレを確認していくことが、「本質的な課題に踏み込んだ施策」を見極める出発点となる。

4. AIで現場管理職が「部下の本音」を引き出すハードルを下げる

現場管理職支援という観点から見たAI活用

エンゲージメント向上の実行主体は、最終的には現場の管理職である。AIによって分析の効率が高まったとしても、人事が全社員に対して1on1やインタビューを網羅的に実施するのは現実的ではない。そこで鍵を握るのが現場の管理職である。とはいえ、現場の管理職の負担はすでに限界に近い。自組織の分析、論点整理、部下との対話、施策の検討・実行がすべて管理職に任された結果、忙しさから対応が後手に回る状況に陥りやすい。だからこそAIは、業務を増やすのではなく、論点整理や仮説形成を支援することで、管理職の判断負荷を軽減すべきである。

孤立した管理職による手探りの改善活動

当社が支援したB社では、エンゲージメントサーベイの結果をダッシュボードで公開し、各管理職が自由に分析できる環境を整備していた。しかし、分析結果を踏まえたアクションの質には管理職間でばらつきが見られた。その背景には、適切な分析手法に関する知見不足や多角的な視点不足に加え、管理職同士の横断的な連携の欠如があった。結果として、管理職は孤立した状態でエンゲージメント向上に取り組まざるを得ず、こうした構造が管理職の自信の低下を招いていた。

AI活用研修による管理職支援のアプローチ

そこでB社では、管理職向けにAIを用いた「問いの立て方」と「アクションプランの立て方」の2つの研修を実施し、部下との対話や施策検討に活かす取り組みを行った。
「問いの立て方」研修では、どのようなプロンプトを用いればAIによる分析や仮説出しが可能になるのかを学び、AIの仮説を踏まえて対話を柔軟に進めるポイントを整理した。短時間の研修であっても、AIの活用ポイントに対する理解が進み、対話の進め方について管理職間で一定の共通認識が醸成された。その結果、管理職は部下との対話を「形だけの面談」から「本音を引き出す場」へと転換することができた。
その後に実施した「アクションプランの立て方」研修では、文字起こしされた部下との対話ログをもとに、AIから対話の進め方に関する評価やフィードバックを受けるとともに、アクションプランの幅だしや優先順位付けをAIの支援を受けながら行った。これまで我流で奮闘してきた管理職も、施策検討における視点が広がり、部下との対話を継続する自信を得ることができた。
本事例が示しているのは、エンゲージメント向上が個別の現場改善にとどまるものではなく、経営・人事・現場管理職が一体となって推進すべきテーマであるという点である。AIを活用することで、経営が掲げる方向性と現場での対話・行動を接続し、組織全体として一貫した変革を実現できるかどうかが、エンゲージメント変革の成否を分ける。

5. おわりに

エンゲージメントサーベイの導入や分析は、組織開発の出発点に過ぎない。AI活用によって、サーベイデータを単なる現状把握に留めず、本質を突いた施策実行につなげることができる。CHROに求められるのは、AIに委ねる領域と人間が担う領域を峻別し、問いと対話を設計する力である。意思決定の速度をあげ、対話や得られる質的データの質を高められるかどうかが、AI時代の人的資本経営の成否を分ける。
アビームコンサルティングは、AIと人的資本経営を融合した「拡張人的資本経営」の推進を通じて、企業の戦略的人材マネジメントを再設計し、戦略構想からデータ基盤整備、AIネイティブ企業へのカルチャー変革まで、一貫して伴走支援する。こうした取り組みにより、AI時代における企業全体の新たな価値発揮を支えていきたい。

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