ここでは、現時点で先行して環境課題として取り組みが進められている気候変動にも触れながら、自然資本・生物多様性に関する国内外の動向を紹介する。ネイチャーポジティブに係る動向は枚挙にいとまがないが、本インサイトでは国際的な取り組みとして国連のイニシアティブ関連を、国内の取り組みについては日本政府が打ち出した生物多様性国家戦略を取り上げていく。
国際的なイニシアティブとして、まず国連による生物多様性条約による締約国会議を押さえておきたい。気候変動問題において「気候変動枠組条約」はよく知られているが、生物多様性も同様に「生物多様性条約」が存在し、その歴史は古くいずれの条約も1992年に国連で採択されている。生物多様性条約は1992年以降、概ね二年に一回の頻度で締約国会議(COP)が開催されている。
注目すべきは2022年にCOP15で採択された「昆明・モントリオール生物多様性枠組」である。COP15ではそれまでのCOPとは異なり企業関係者や投資家が多く参加したことが特徴的で、2030年までに陸域・内水域・海域の30%以上の保全・回復をすること(30by30)や、企業に生物多様性・自然へのリスク・依存・影響を把握して開示を求めるといった画期的な合意がなされた。特に大企業や多国籍企業、金融機関については、サプライチェーンやバリューチェーン、ポートフォリオに亘って生物多様性に係るリスク・依存・影響を定期的にモニタリングし、評価し、透明性をもって開示することを求めている。
次に、科学的な見地から気候変動と生物多様性の相互関係が議論された「IPBES-IPCC合同ワークショップ」についても注目したい。気候変動と生物多様性の損失は人類にとって深刻な危機でこの2つの危機は相互に深く関わっていると言われていたが、科学者も政策決定者も従前は別々に対応してきた。こうした経緯から、2020年に前出のIPBESと気候変動に関する政府間パネル(IPCC: Intergovernmental Panel on Climate Change)が合同でワークショップを開催した。IPBES-IPCC合同ワークショップ報告書によると、気候変動の制御と生物多様性の保護は相互依存する目標であること、気候変動の緩和・適応にのみ焦点を当てた対策では生物多様性に悪影響を及ぼす可能性があること、気候・生物多様性・人間社会を一体のシステムとして扱うことが効果的な政策のカギとなること、などが示唆されている。昨今は気候変動の緩和・適応と自然資本・生物多様性の保全・回復を統合的に取り組むべきという考え方が、国際的な共通認識となっている。
そして現在、ビジネスにおいて最も注目を集めているのが自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD: Taskforce on Nature-related Financial Disclosures)と言えるだろう。詳細は次回以降で解説するが、TNFDとは世界の金融の流れをネイチャーポジティブに移行させることを目的とし、企業に対してビジネスの自然への依存や自然に与える影響、リスクと機会を評価・モニタリング・報告するための枠組みを作り、財務情報としての開示を求めるもので、気候関連財務情報タスクフォース(TCFD: Task force on Climate-related Financial Disclosures)の自然版と位置付けられている。TNFDは国連開発計画(UNDP: United Nations Development Programme)、国連環境計画金融イニシアティブ(UNEP FI: United Nations Environment Programme Finance Initiative)、環境NGOグローバルキャノピー、そして前出のWWFが主導して2021年に発足した。2022年にTNFDフレームワークのベータ版v0.1が公開され、その後オープンイノベーションアプローチを採りながら更新を繰り返し、2023年9月に正式版v1.0が発表された。TNFDフレームワークをベースに、企業における自然資本の情報開示とネイチャーポジティブへの移行が今後加速することが期待されている。
こうした国際的な動きを受けて、日本国内では2023年3月に「生物多様性国家戦略2023-2030」が閣議決定された。生物多様性国家戦略は2030年までにネイチャーポジティブを実現することを目指し、地球の持続可能性の土台であり人間の安全保障の根幹である生物多様性・自然資本を守り活用するための国家戦略として2050年ビジョン、2030年ミッション、基本戦略、目標、関連施策が記載されている。
基本戦略としては、「生態系の健全性の回復」「自然を活用した社会課題の解決」「ネイチャーポジティブ経済の実現」「生活・消費活動における生物多様性の価値の認識と行動」「生物多様性に係る取組を支える基盤整備と国際連携の推進」の5つが掲げられている。なかでも金融機関の事業により直結するところでは、3つ目の基本戦略「ネイチャーポジティブ経済の実現」が関係しており、生物多様性・自然資本が事業活動に及ぼすリスクや機会の評価、目標設定、情報開示などを推進することに加え、投融資の観点から生物多様性を保全・回復する活動を推進することを行動目標として取り上げている。