AI時代の人的資本経営とCHROの新たな役割 第1回 「拡張人的資本経営」による知的資本の最大化

インサイト
2026.01.28
  • 人的資本経営
  • AI
  • 経営戦略/経営改革
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かつてテクノロジーは「業務の効率化」を支援する存在だった。しかし今、生成AIは意思決定や価値創出のあり方そのものを再構築し、人間の知的生産を“拡張”する段階に入っている。

この潮流は経営のあらゆる領域に波及しているが、「人的資本経営」も例外ではない。従来の人的資本経営は「いかに人材を活かすか」という運用の視点に軸足を置いていた。しかしAIの登場により、「いかに人材とAIを組み合わせ、知的資本を最大化するか」という拡張の視点が不可欠になっている。

本インサイトシリーズ(全6回)では、急速に進む人的資本経営の潮流を踏まえ、単なる業務効率化ではなく、AIと人材の知を融合し、戦略的な意思決定をより正確かつ迅速に行うための「拡張人的資本経営」という新たな概念を提唱する。そして、AI時代においてCHROに求められる役割を再定義し、人的資本の価値最大化に向けた方向性を提示する。
第1回では、人的資本経営の現在地と進むべき方向性を整理したうえで、「拡張人的資本経営」の概念を紹介する。

参考インサイト:人的資本経営とは?注目の背景・メリットや実践方法を分かりやすく解説

執筆者情報

  • 佐藤 一樹

    Director
  • 羽田 康孝

    山本 倫弘

    Senior Manager

人的資本経営の現在地と到達点

近年、日本企業は、人的資本経営の領域において、2つの側面から大きな変化を迫られている。1つは「人的資本版伊藤レポート2.0」に象徴される、人材を価値創造の源泉たる資本として捉え直し、経営戦略と人材戦略の連動を促す流れである。もう1つは、有価証券報告書における人的資本情報の開示義務化だ。ESG投資の広がりを背景に、育成、ダイバーシティ、エンゲージメントなどの指標を数値で示し、ステークホルダーに対して説明責任を果たすことが求められている。

この要請に応じ、各社では人事情報システム、タレントマネジメント、学習基盤、勤怠・工数管理、BIツールなど、さまざまなシステムを連携させ、KPIの集約や可視化の取り組みが広がった。さらに、エンゲージメントサーベイの結果や人員構成の推移、採用・離職・異動の主要指標は、経営会議や取締役会の資料で参照されるまでに整備が進んでいる。人的資本経営は、少なくとも「現状を同じものさしで見られる」水準に達しつつあると言える。

意思決定上の課題

しかし、人的資本の可視化が進んだ一方で、価値創造に直結する意思決定の仕組みには課題が残る。
 
  • データと戦略の断絶
    開示数値が経営判断に織り込まれず、施策の比較が客観的になされていない。判断が経験や暗黙知に依存している。
  • 非構造化データの未活用
    上司部下間のキャリア面談記録やエンゲージメントサーベイの自由記述など、洞察の源泉が集計の困難さから活用されていない。
  • 財務言語との接続不足
    人材投資のROI(投資利益率)が示されず、CFOが用いる財務的な指標や表現に落とし込めていない。
     

結果として、現状、人的資本経営は「可視化」から「活用」への過渡期にある。しかし、経営が求めるのは、現状把握の一覧ではなく、将来の選択肢を根拠とともに比較し、優先度を定め、施策に落とし込むまでを一貫して支える仕組みであり、その構築が求められている。

生成AIという触媒

この「活用」へのギャップを埋める有力な触媒が生成AIである。ポイントは2つに集約される。

1. 多様なデータの横断的結合と文脈化

形式の異なる多様な情報(サーベイ自由記述、面談記録、学習履歴、工数データなど)をAIの自然言語処理で束ね、経営課題に即して再編できる。完璧なデータモデルを待たずとも洞察を得られる。

2. 将来像の構築・比較と打ち手の提示

起こり得る複数のシナリオを構築し、それぞれの効果・リスク・必要資源と、次に取るべき選択肢を根拠とともに提示できる。その際、AIは結論を代替するのではなく、前提と視点を広げ、比較可能性を高める役割を担う。

 

具体例として、離職の兆候を早期にとらえた介入設計、従業員の志向・強みに沿った学習経路の自動提案、プロジェクト要件と人材特性の照合によるチーム編成案の提示などが挙げられる。重要なのは、生成AIの活用が、個別の効率化ではなく、将来像と打ち手を同じ土台で検討できる運用を可能にする点である。

「拡張人的資本経営(Augmented HR)」の提唱

そこで我々は、AIを触媒とした「拡張人的資本経営 (Augmented HR)」を提唱する。欧米ではAIやテクノロジーを活用して人事機能を拡張し、戦略的な価値を高めるアプローチの実装が進みつつあり、日本でも一部の先進的な企業が取り組み始めている。

アビームコンサルティングでは、「拡張人的資本経営」をAIの示唆、人的資本データ、経営戦略という三つの要素を融合させた経営モデルとして提唱する。具体的には、AIが全従業員のスキル・経験・キャリア志向をリアルタイムに可視化し、組織構造や業績データと連動させながら「人材の最適配置」「スキル需給の将来予測」「組織文化の変化シミュレーション」などを自動生成する。経営陣は、そのシミュレーション結果を用いて、将来どのような人材投資が企業価値を高めるかを即座に検討できる。

拡張人的資本経営の核心は、AIが人間の能力を「代替」するのではなく、「拡張」するという思想にある。未来シナリオの構築や比較といった複雑な分析タスクはAIが担い、CHROをはじめとするリーダーは、その結果の戦略的な解釈、倫理的な判断、共感をともなうコミュニケーションといった、より高次の役割に集中できる。

例えば、AIが提示する複数の将来シナリオの中で、あるシナリオでは「若手専門職の離職リスクが高まる」、別のシナリオでは「デジタル人材の育成投資が業績を3年後に押し上げる」といった示唆が表示されたとする。CHROはそれらを踏まえ、単なる数値最適化にとどまらず、企業文化や従業員の納得感と整合する施策を選び取る。すなわち、AIが“論理”を提示し、人間が“意義”を与える協働である。このモデルは、経験と勘に頼ってきた従来の人事から、データと示唆にもとづき未来を構想する真に戦略的な経営機能へと変貌を促す包括的なフレームワークである。

AI時代におけるCHROの役割と意思決定アプローチ

拡張人的資本経営は、CHROの役割と意思決定アプローチを根底から再定義する。これまで人事の判断は「経験」や「感覚」に依存する部分が大きかったが、生成AIの活用によって、膨大なデータを瞬時に分析し、複数のシナリオを提示できるようになった。そうした中、CHROの役割は経験で判断する「判断者」からAIへの「問いを立てる設計者」へ移行しつつある。AIが示す分析は“答え”ではなく“選択肢”であり、その中から自社の戦略、文化、社会的文脈に照らして何を採用するかを決定することが、CHROの新たな意思決定となる。

象徴的な事例として、取締役会や経営戦略会議の長年の議事録、社内データ、最新の外部情報をAIに学習させ、十数の異なる人格をもつAIを経営会議に同席させている企業がある。これらのAIは事前に相互討議を行い、多面的な論点と将来シナリオを整理して提示する。経営陣は、その複数の選択肢を起点に「自社が進むべき道」を見極める。ここでAIは意思決定を肩代わりするのではなく、前提と視点を拡張する“知的補助線”として機能する。提示された多様な未来像を前に、CHROがどのシナリオを選択し、どの人材群に投資し、どのスキルを再配置するかを設計する—つまり、問いを磨き、意思決定の質を高める力こそが、拡張人的資本経営時代のリーダーシップの核心である。

意思決定のアプローチが変化することで、CHROの役割自体も大きく変わる。CHROは人材管理・オペレーションの主導者ではなく、データとAIを駆使して企業価値を創造する「戦略的アーキテクト」へと進化することが求められる。この新たな役割を担うCHROには、AIモデルを用いて将来必要な人材ポートフォリオを予測し、人的資本投資のROI(投資利益率)をシミュレーションし、個人レベルで最適化された施策を設計・実行する能力が不可欠である。これにより、CHROはCEOや取締役会に対して定性的な主張ではなく、「このリスキリング投資は生産性をY%向上させ、Zドルの収益増が見込まれる」といった、データに裏打ちされた事業ケースを提示できるようになるだろう。

この変化は、経営陣における力学の変容も意味する。従来、CFOが「財務データ」という共通言語を通じ大きな影響力を持ってきたのに対し、CHROが扱う人材や組織文化は定量化が難しいとされてきた。拡張人的資本経営は、無形資産を「定量化」するツールをCHROに提供する。すなわち「人材・組織の定量化」は、CHROにCFOと対話するための新たな言語を与え、人的資本を企業の戦略的中核へと押し上げる力となる。

今後の本シリーズの展開

本インサイトでは、人的資本経営の現状と、生成AIによる変革、そして我々が提唱する「拡張人的資本経営」の概念を提示した。この新たなモデルは、CHROの役割を根底から変革し、データと洞察にもとづく、前例のない「意思決定力」を与えるものである。拡張人的資本経営の推進は、もはや競争優位性獲得のための選択肢ではなく、企業が持続的に成長するために取り組むべき必須要件と言える。

本インサイトは、全6回にわたるシリーズの序章である。この変革を推進するCHROの前には、解決すべき数多くの問いが横たわっている。次回以降では、AI時代の人的資本経営を構成する複数の論点―人材ポートフォリオ、エンゲージメント、採用、育成、そしてグローバル展開―について多角的に掘り下げていく。
各回を通じて、AIと人の協働が企業経営にもたらす変化と、その実践への道筋を描いていく予定である。これら一つひとつの問いへの挑戦こそが、人的資本の価値を最大化し、企業の未来を拓く道筋となる。

アビームコンサルティングは、AIと人的資本経営を融合した「拡張人的資本経営」の推進を通じて、企業の戦略的人材マネジメントを再設計し、戦略構想からデータ基盤整備、AIネイティブ企業へのカルチャー変革まで、一貫して伴走支援する。これにより、AI時代における企業全体の新たな価値発揮を支えていきたい。


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