自然資本への対応は、もはやTNFD提言に基づく開示にとどまらない。先進企業は自然資本への依存・影響を、競争優位性を左右する経営アジェンダとして捉え直しつつある。GNPS熊本サミットでは食品・飲料、保険、建設、小売等、幅広い業界の経営層が自社の取り組みを語った。
サミットで登壇した先進企業には、ある共通点があった。自然資本の毀損をリアルなリスクとして捉え、バリューチェーンや地域のステークホルダーを巻き込んでいるということである。食品・飲料業界では、ハリケーンによる生産拠点の操業停止や渇水・病害による原材料の調達コスト上昇のような苦い経験がネイチャーポジティブ推進の原動力となっている。例えば、キリンHDでは重要な原材料生産地において、農家のトレーニングも含めた持続可能な農業への移行支援を行っている※4。保険業界においては自然災害が保険料高騰や資産価値低下に波及していることを背景に、自然資本をサービス提供上の重要課題として捉えている。MS&ADは、地域共創により流域治水に取り組み、水害抑制と自然再生への貢献を進めている※5。
一方、ネイチャーポジティブを事業機会として捉え、歩みを進める企業も着々と増加している。積水ハウスは住宅販売において在来樹種の植栽を付加価値として顧客に提供する「5本の樹」計画を行っており※6、販売機会の創出と生物多様性への貢献を両立している。明治HDは、同社のビジネスが強く依存するカカオ産地の農家を人権・環境・経済面からサポートするサプライヤーエンゲージメント「メイジ・カカオ・サポート」を実践しており※7、持続可能な生産や生産者の生計に貢献することで、調達の安定性につながる取り組みを進めている。
今回紹介した先進企業の取り組みは、裏を返せば、対応の遅れが物理リスク(災害や原材料不足による操業停止)、移行リスク(規制強化や取引先の調達要件への不適合、評判の毀損)、そして機会の逸失につながることを示している。自然資本には、一定の閾値を超えると回復に数十年を要し、気候変動と比べても不可逆性が高いという特性がある。昆明・モントリオール生物多様性枠組(KMGBF)が掲げる2030年目標に向けて残された時間は少なく、成り行きシナリオのまま自然の劣化が進行した場合に自社の経営や実務にどのような影響が生じるのかを、現実的にシミュレーションしておく必要がある。
そのうえで企業に求められるのは、自然との接点を経営の前提条件として捉え直し、①バリューチェーン上の依存と影響がどの地点に集中しているかを特定し、②そのうち自社の事業継続に直結する地点を優先順位付けし、③サプライヤー、自治体、金融機関、研究機関といったステークホルダーと協働しながら対策を実装する、という順序立てた取り組みである。読者の企業に置き換えれば、問うべきは「自社のバリューチェーンにおいて、事業継続に直結する自然への依存はどこに最も集中しているか」である。この問いに具体的な地点名で答えられるかどうかが、実装の成否を左右する。
自然への依存と影響は、自社操業ではなくバリューチェーンの上流・下流に存在する傾向が強い。先進的事例が示すのは、上流・下流の現場まで踏み込んだ活動を実装・継続できるかどうかが、対応の実効性を分けるということだ。そのためには、産地単位のトレーサビリティの確保や、サプライヤー・顧客との継続的な関係構築が前提となる。当社は、このバリューチェーン展開こそが、日本企業のネイチャーポジティブ対応が重視すべき焦点であり、同時に差別化の起点になると考える。