日本のヘルスケア市場に新たに参入しようとする異業種にとって、最初のハードルになりやすいのが、「医療の文脈」をどう理解し、どう事業構想へ翻訳するかという点だ。ここでいう医療の文脈とは、診療報酬や規制といった制度面に加え、医療現場に根づく意思決定のあり方、専門職としての倫理観、患者との関係性など、ビジネスとは異なる前提条件の総体を指す。
アビームコンサルティングのヘルスケア支援においても、この文脈を適切に読み解き、事業構想へと置き換えるプロセスは、重要な出発点の一つに位置付けられている。
海外では、医療データを民間企業が活用して新たな価値を生み出したり、他産業の技術を取り入れてヘルスケアサービスを展開したりする動きが活発化している。保険会社やセンシング・デバイス企業など、もともと医療とは距離のあったプレイヤーの参入も進む。一方、日本では、優れた技術やソリューションを持っていても、それを医療従事者や患者に届けるまでに高い壁に直面するケースは多い。
医療は、制度・運用・職能分化といった独自の歴史や文化の中で発展してきた領域であり、他業界と同じ感覚でサービスを持ち込んでも、現場の文脈に合わなければ受け入れられにくい。だからこそ、技術や事業モデルの優位性だけでなく、それを医療現場の言葉や運用実態に合わせて翻訳し、橋渡しする力が欠かせない。アビームコンサルティングのアプローチにも、こうした問題意識が通底している。
この点について安田氏は、自身が専門医からコンサルタントへ転じ、起業した背景にも、まさに医療とビジネスの間にある「橋渡し」の必要性を強く感じていたと語る。実際に現場の医師120名を対象にアンケートを実施したところ、新しいシステムを導入しても85%が「業務効率化につながらなかった」と回答したという。
その背景には、医療現場の実態や潜在ニーズが十分に掘り起こされないまま、技術や仕組みが持ち込まれてしまう構造がある。医療従事者を相手にするヘルスケアビジネスは、多職種協働や各種規制といった特有の前提やルールを前提とする領域であり、一般消費者向けビジネスとは性質が大きく異なる。そのため、現場では「使ってみたが、かえって忙しくなった」「本当に必要なところに効いていない」といった声が生まれやすい。
安田氏は、こうした状況を踏まえ、医療者のインサイトに直接アクセスできる環境を整え、現場の文脈を踏まえて事業を設計することが、医療現場と社会の双方にとって価値あるビジネスを、“産業”として自立させていくために不可欠だと指摘する。
また、ヘルスケアは巨大な市場に見える一方で、価値創出の起点となる「どこで戦うか」が見えにくい領域でもある。医療制度、関与主体、意思決定構造が複層的に絡み合うため、単に市場の大きさを理由に参入を検討しても、どこに価値を届かせるのかが定まりにくい点がある。アビームコンサルティングでは、ヘルスケアを単なる成長市場として捉えるのではなく、「誰の、どの課題を、どのステークホルダーと解くのか」を具体的に定義することを重視している。例えば、健康経営一つを取っても、生活者向けか、医療機関向けか、企業向けかによって、取り得るアプローチや成功の条件は大きく異なる。
こうした選択を曖昧にしたままでは、ターゲットも価値提案もぼやけ、結果として収益化やスケール化の壁に直面しやすい。そのため、「どのポジションで戦うべきか」「最初の一歩はどこか」を経営層とともに整理するところから、支援のプロセスを組み立てている。
これに対し安田氏は、ヘルスケアビジネスに参入したい企業がコンサルタントに求めているのは、必ずしも完成度の高いビジネスモデルの青写真ではなく、むしろ、自社に足りない医療側の専門性を補完し、ときには踏み込み過ぎない判断も含めて、深い領域までともに検討してくれる存在であると指摘する。
多くの企業は、自社の強みをヘルスケア分野に展開しようとした際、上流の構想までは描けても、それをどのように医療現場へ落とし込めば良いのか分からずに立ち止まってしまう。そうした局面では、「できないことはできないと言い、できる人に任せる」という割り切りも含め、適切なパートナー選択が参入リスクを大きく左右する。
ヘルスケアの知見を持つパートナーと組み、医療現場のインサイトに到達するルートを確保できれば、構想と実装の間にあるギャップは埋めやすくなる。その前提のもと、アビームコンサルティングでも、自社だけで完結させるのではなく、必要に応じて内外の専門家を巻き込みながら価値向上を図っている。