生成AIで接客ナレッジを再現する仕組みとは 〜「小売現場の育成実態調査」から見えた課題と解決の方向性~

インサイト
2025.12.22
  • 小売・流通
  • AI
979180054

パンデミックを経て、リアル店舗の価値が再評価される一方で、小売業界では人手不足が恒常化し、店舗運営を支える人材の育成・確保が喫緊の課題となっている。なかでも、接客を担う店舗スタッフのスキルや対応力は売場の信頼性や顧客体験に直結するにもかかわらず、これまで暗黙知のままOJTで属人的に継承されてきた。
アビームコンサルティングでは、こうした現場における課題の実態をより具体的に把握するため、小売業態別(総合スーパー・専門店・ドラッグストアなど)に、店舗で勤務するスタッフ1200名を対象とした「小売現場の育成実態調査(以降、本調査)」を2025年6月に実施した。本調査では、接客時に困ったこと、商品知識に関する問い合わせ対応の経験、売場内でのナレッジ共有の実態などを中心に、定量・定性の両面から課題を可視化している。

本インサイトでは、こうした調査結果を踏まえ、小売業における人材育成の構造的課題を整理するとともに、属人化したナレッジを再現可能な資産として整備・活用するためのアプローチを考察する。特に、生成AIを活用した接客ナレッジ(接客ナレッジAI)の継承・活用に焦点を当てる。育成とは単なる「教える」ことではなく、「誰が実践しても一定の成果を再現できる状態をつくること」である。
本インサイトが示すのは、生成AIという技術の可能性を、現場起点での人材育成変革にどう落とし込むかという実践的な示唆であり、小売現場が直面する人材課題への一つの現実解である。

執筆者情報

  • 永原 将晴

    Director

1. 店舗育成の現場で何が起こっているのか?

本章では、小売業界における人手不足の深刻化と、従来型OJTによるスタッフ育成の限界について明らかにする。特に、専門性の高い売場での即戦力化が難しくなっている現状を背景に、「再現可能な育成プロセス」の必要性を浮き彫りにしていく

リアル店舗回帰により店舗スタッフ育成が高い関心事に

パンデミック後、リアル店舗回帰のトレンドが進む中、小売業界は再び人手不足感が高まっており、店舗運営を支える人材育成が喫緊の経営課題になっている。
なかでも、売場の先輩担当者によるOJTを主軸とした育成スキームは、「教える時間がない」「教える人手が不足している」といった問題に直面しており(図1)、その結果、専門性の高い商品カテゴリを担当するスタッフが、十分な知識や話し方のトレーニングを受けないまま売場に立つという状況を生んでいる。特に、専門店や百貨店、ホームセンターなどは接客に際し専門知識が必要な状況が多い(図2)。こうした状況は、スタッフのお客様への声がけの委縮を招き、顧客満足度の低下や販売機会の損失につながる可能性がある。

図1 店舗での育成機会が不足している原因
図2 業態別の商品知識・専門知識の必要度合い

育成を困難にさせている店舗現場の変化

さらに当社が支援している多くのクライアントでも、人手不足によりシフトが組めず、スタッフ1人当たりの売場範囲を拡大しているという声をよく聞く。これも商品知識のキャッチアップの難易度を上げる一因になっていると考えられる。接客時に困った状況としては、クレーム対応が最多であり、次いで商品知識に関するものが多かった(図3)。クレーム対応はピンチではあるが、対応次第では、逆にファンになってもらうチャンスにもなり得る。商品知識についても接客の仕方によってはクロスセル・アップセルにもつながるはずだ。ジュニアスタッフではこういった機会の取りこぼしをしている可能性もある。このような現状を打破するためには、育成を個人の技術や経験に依存せず、「再現可能なプロセス」として組織に実装する視点が求められる。

図3 接客時に困りやすいシチュエーション

2. なぜ育成が属人化し続けてきたのか

本章では、店舗スタッフの育成がなぜ属人的に行われてきたのか、その構造的な背景を整理する。「背中を見て覚える」文化と、それを支える評価・昇進の仕組みが、標準化された育成モデルの定着を妨げてきた実態を掘り下げる。

背中を見せて育てる文化

現場の育成は「先輩の背中を見る」「話を聞きながら覚える」「ミスして覚える」といった、非形式知を伝えるOJTに大きく依存してきた。今回の調査からも、育成環境としては「上司や先輩の接客対応を見て学ぶ」や「自主的に調べる」が他と比較して大きいという実態が明らかになっている(図4)。やはり接客をともなう店舗スタッフの指導は、お客様との実際の対応を通じて経験を積んでいくプロセスがどうしても必要となる。しかしそれは、意図せず属人化を助長し、本来誰が指導しても同じ結果となる育成システムの実現を阻んでいる。さらに、現場経験を積み重ねた「たたき上げ」型の人材が昇進しやすい構造が根付いているため、結果的に、人材育成は体系的な仕組みではなく「背中を見て育て」という暗黙知依存のスタイルに陥っている。当社は店舗運営の支援を通じ、こうした旧来型の構造が依然として強く残り、変革が進みにくい状況に何度も直面している。

図4 知識やスキルの習得方法

現場の学習意欲と育成する側のギャップをどう埋めていくのか

そうした属人化した育成の限界が明らかになる一方で、現場では依然として知識やスキルの習得ニーズが高く(図5)、その一方で育成機会について「ほとんどない」「まったくない」と回答した割合が約4割に上る(図6)。こうした背景から、育成機会をより充実させたいという声も一定程度存在していると考えられる。限られた人員・時間の中で、効率的かつ再現性高く育成を進めるための手段として、生成AIの活用が注目されている。

図5 知識やスキルの習得ニーズ
図6 知識やスキルの育成機会

生成AIが有効と考えられる背景には、従来の育成スキームでは解消しきれない三つの課題がある。
第一に、育成コストの平準化である。従来のOJTでは、指導者の経験や能力によって育成品質にばらつきが生じ、十分な指導時間を確保することも難しい現状がある。生成AIを活用すれば、一定品質の知識提供や接客シナリオを各店舗で均質に利用でき、追加工数を大きく発生させずに育成機会を拡充することが可能となる。
第二に、現場への適応性の高さである。繁忙の波やシフト制など、店舗現場では計画的な研修実施が困難なケースが多い。生成AIは、スタッフが困った瞬間に問い合わせが可能であり、従来の研修では補いきれなかった「現場密着型の即時学習」を実現できる。
第三に、育成の属人化を解消し、再現性を担保できる点である。ベテラン店員の接客には、商品知識だけでなく企業固有の行動規範や判断基準が多く含まれているが、その多くは暗黙知として言語化されてこなかった。生成AIは、こうしたナレッジを構造化し、誰が利用しても同じ考え方や対応プロセスにたどり着ける「再現可能な育成基盤」として機能する。これらの特性により、生成AIは現場の学習意欲に応えつつ、従来のOJTでは実現が難しかった育成の安定化と高度化を同時に進める手段となり得る。次章では、こうした背景を踏まえ、接客ナレッジの構造的な特性と、生成AIがそれをどのように継承し得るのかをより具体的に整理していく。

3. 生成AIによるベテラン接客ナレッジの継承は可能か

本章では、ベテラン店員が持つ独自の接客ナレッジの構造を分析し、それを生成AIに継承するための要件と課題を明らかにする。

ベテラン接客に内在する「その企業らしさ」

ベテラン店員の接客は、ジュニアな社員やパート・アルバイトと比べて何が違うのだろうか。膨大な商品知識なのか、それともお客様からくる質問への切り返しノウハウの蓄積なのか。もちろんそういった要素が大きいのは確かだろう。だがそれ以外にも長年の接客の中で無意識にしみついている「その企業らしさ」が、ベテラン店員の接客で重要な要素になると考えられる。実際に同じ商品を扱っていて、同じ質問をお客様からされたとしても接客対応はその企業の文化・風土によって異なる。お勧めの仕方や提案、クレーム時の対応などは、その企業の方針や行動規範に則った対応をベテラン社員はしているはずである。もしくは長年働いているベテラン店員たちがその風土を作っている場合もある。

暗黙知の分解と構造化の壁

ベテラン店員の接客は単純に商品知識を詰め込んでいるというものではなく、以下の要素で構成されていると考えられる。

  • 会社方針や行動規範
  • 接客マニュアルや内規
  • 商品知識
  • 個人の経験や形式知化されていない暗黙知

こういったトータルの「ナレッジ」がベテラン店員の接客力に繋がっていると考えられる。この構造をAIへのインプット設計にも反映していく必要がある。
多くの企業では、すでに店舗マニュアルが整備され、会社方針や行動規範は明文化されている。しかし、その方針や行動規範に則った「具体的な接客」が何かは、イメージできるが明文化されていないことが多い。そのため、接客業務の棚卸しを行い、「こういう場合はこのように対応する」といったシーン別の網羅的なナレッジを整理する必要がある。ベテラン店員の肌感覚を言語化してAIに教える。この翻訳作業こそが、ナレッジAI構築における最大の壁の一つだ。

ナレッジAI構築における手法別の役割と設計論

二つ目のハードルは「AI構築力」である。
ナレッジAIを構築する際には、目的に応じて複数のアプローチを適切に組み合わせる必要がある。まず重要となるシステムプロンプト設計は、AIへの指示文を工夫することで回答の方向性を調整する方法である。小売現場では、「お客様に寄り添うトーンで説明してください」や「商品比較を行う際は、価格・特徴・使用目的の三点で整理してください」といった指示を与えることで、ベテラン店員が日常的に行っている話し方の型や比較の観点をAIに学習させることができる。また、クレーム対応では「①謝意→②共感→③状況整理→④代替案提示」という手順を指定することで、企業として意図する対応フローを再現させるといった活用が可能だ。こうしたシステムプロンプトの工夫は、モデル自体を学習させずに回答の質や一貫性を高めるアプローチである。

次に、RAG(Retrieval-Augmented Generation)は、マニュアル、商品情報、FAQといった企業内の既存データをAIが参照できるようにする仕組みである。たとえば、新製品の仕様やキャンペーン情報など、更新頻度が高く、モデル内部に学習させるべきではない情報は、RAGで参照させることで、最新の情報を正確に回答へ反映できる。店舗スタッフが「このドリルはコンクリートでも使える?」といった具体的な問い合わせを行った際に、AIが最新の商品カタログを検索して答えるといった形で、RAGは現場の「今知りたい情報」に対応する役割を担う。

一方で、ファインチューニングは、モデル自体に追加学習を行い、企業固有の知識や接客方針を深く理解させるための手法である。たとえば、「当社ではまずお客様の使用目的を確認してから商品を提案する」といった暗黙ルールや、ベテラン社員が体得している企業らしい言い回しをAI内に染み込ませることで、回答の再現性と一貫性を高めることができる。特に接客シナリオや判断基準など、頻度は高くないが長期的に変わらない本質的な知識はファインチューニングに適している。

このように、システムプロンプト設計、RAG構築、ファインチューニングはそれぞれ性質が異なり、「モデルの使い方を調整する方法」と「モデル自体を学習させる方法」に大きく分かれる。それぞれの強みを踏まえ、どの情報をどの手段でAIに理解させ、どの順番で処理させるのかという流れ(フロー)を設計することが、ナレッジAI構築において極めて重要となる。

図7 AI応答生成のメカニズム全体像

ナレッジ継承を成功させる現場アクション

これらのハードルをクリアするためには、属人化しやすい接客を常日頃から言語化・明文化しておくことが重要となる。お客様からの質問とその対応を日々吸い上げる仕組みを作り売場メンバー間で共有する、よくあるお客様からの問い合わせとその対応方法をまとめる、接客時の言い回しや状況判断のポイントをテンプレート化し、経験の浅いスタッフでも再現できるようにする—こうした取り組みが、ナレッジの継承と即戦力化につながる。
AI構築力については、技術的な知見が必要にはなる。しかし、小売業界においても、AIは「使う/使わない」の議論のステージではなく、「どのように使うか」のステージに上がっており、活用しない選択肢はない。AIの実装に向けては、専門的な外部リソースの活用が中心にはなるが、意欲が高い人材をプロジェクトメンバーに入れて、社内での育成も含めて対応すべきところまできている。

4. 育成を「教える」から「再現する」という発想へ

本章では、従来の「教える」育成から脱却し、誰でも同じ対応ができる「再現性ある育成」への転換の必要性を論じる。生成AIを活用したナレッジ提供・スキル習得・フィードバックの新たな仕組みが、店舗育成を進化させる鍵となる。

生成AIによる再現性のある育成の実現

店舗現場における育成の本質は「教えること」自体ではなく、「意図された対応を、誰もが、いつでも、どこでもできるようにすること」である。まさにそれこそが「再現性」であり、これからは教えて育てるのではなく、再現できる仕掛けを作っていくという発想が重要となる。
蓄積したナレッジをさまざまな形で活用するにあたって、生成AIはけた違いに有用なテクノロジーである。利用者は困ったときに質問して回答を得られるだけではなく、問答形式による商品知識の習得や提案対応・クレーム対応のロールプレイ形式によるスキルアップなど、ベテラン社員を再現する仕掛けを構築することが可能になる。また、何より重要なのは、フィードバック設計である。従来のOJTやe-learningでは「教えたかどうか」に焦点が当たりがちで、「理解できたか」「再現できるか」はブラックボックスになる傾向が強い。ナレッジ習得において、スタッフが自身の理解度や対応の質を客観的に把握できる仕組みの構築が不可欠だ。
例えば、クレーム対応のロールプレイを実施した際に、AIが対応内容を評価し、「顧客への共感が十分か」や「代替案の提案が的確か」といった改善コメントを提示し、結果を数値スコアやランクでフィードバックする仕掛けが考えられる。また、商品知識の習得シーンでは、スタッフが苦手とするカテゴリ(例:家電の専門知識、化粧品の成分説明など)をAIが分析して重点学習領域として提示することで、短期間での知識定着を支援することもできる。さらに、QAの頻度や内容から割り出し、店舗スタッフがどのナレッジに多くアクセスしたかを分析し、さらなるナレッジ強化や拡張に繋げていくことも重要である。
このように生成AIは、従来では個々人の経験に左右されていた学習・指導プロセスを可視化し、誰でもベテランの思考プロセスに近づける「再現性のある育成」を実現するための核となる役割を果たす。

5. 接客ナレッジAIの未来に向けた拡張性

本章では、接客ナレッジAIの育成用途を超えた活用の可能性について展望する。構造化された接客知識は、従業員支援にとどまらず、カスタマー対応の自動化やCX(カスタマーエクスペリエンス)向上へと拡張できるポテンシャルを秘めている。

接客ナレッジは育成以外でも使える可能性が高い

本インサイトで取り上げた「接客ナレッジAI」は、属人的に蓄積されてきた接客スキルや商品知識を再現性のある形で構造化し、生成AIによって店舗スタッフがどこでも学び直し・習得できる仕組みを目指している。しかし、これはあくまでナレッジAI活用の最初の一歩であり、今後の拡張性は非常に大きい。
ナレッジの活用対象は従業員にとどまらない。接客ナレッジや商品知識が高精度で構造化されれば、そのままお客様対応AIやチャットボットへの転用も可能となる。これにより、ECサイトや公式アプリ・カスタマーサポートチャネルの自動化・高度化にもつながり、小売業のビジネス自体を支えるAIとなる可能性を秘めている。特に、消費者とのチャット履歴から蓄積されるQ&Aデータと接客ナレッジAIの統合は、CXの革新に直結する。
このように、属人的なベテラン社員のナレッジが生成AIによって再現され、企業資産として組織力の強化や事業の拡張に活用できる未来が開けている。

ナレッジAIは、いつ取り組み始めるべきなのか?

AIは非常に速いスピードで進化しているため、「いつ始めればよいかわからない」という声も少なくない。しかし、AI活用の成否を左右するのはインプットである。AI自体が進化しても、投入するデータがなければ、あるいは質の低いデータしかなければ、期待する効果は得られない。また、AIで「何ができるか」を構想できる人材の育成も今後不可欠となる。いざ活用する状況になった時に動けない状態を避けるためにも、まずはナレッジの棚卸しと構造化から着手し、生成AIの本格活用に備えて、育成の「土台」を再構築する第一歩を踏み出すべきである。

6. おわりに

アビームコンサルティングは、人材育成AIツールの実現に加え、接客ナレッジの構造化支援や、現場導入における制約条件、組織設計・運用設計も踏まえた包括的な支援を行っている。ナレッジAIは一度導入して終わりではなく、データガバナンスや人事・教育部門との連携、評価指標の設定を含む全体設計、さらにデータとAIの最適化を継続していくことが重要な鍵となる。ナレッジAIの活用を「PoC止まり」にしないために、今後もクライアントと伴走しながらナレッジAIを「育てる」支援を続けていきたい。


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