通信事業者による異業種参入:
医療・ヘルスケア領域への新規事業拡大における成功の要諦

2024年2月16日

通信業界を取り巻く環境は急速に変化している。規制・政策、経済、社会・文化、技術といったあらゆる面において様相が変化し、その結果、従来の通信に関するエコシステムを主導していた通信事業者の事業領域は縮小の一途にある。この状況に対応するために通信事業者各社は、リソースや強みを活かしながら事業拡大の方向性を模索しているところである。
本インサイトは、通信事業者に対し、コア事業である通信から事業を拡大するにあたっての有望領域の一つとして、医療・ヘルスケア領域にフォーカスを当てて、その理由やアプローチを紹介する。あわせて、新領域における事業展開にあたり、通信事業者が活かすべきケイパビリティについても我々なりの特定を試みる。

目次

通信事業をとりまく事業環境の変化

はじめに、通信事業者が事業拡大に舵を切らざるを得なくなった背景を振り返ってみよう。
日本の通信事業におけるエコシステム、つまり通信事業を成立させるプレイヤー群の関係性は、これまで通信事業者を中心に構成されていた。固定電話中心だった時代にいわゆる「ガラケー(日本版フィーチャーフォン)」が登場。1992年には株式会社NTTドコモがこのガラケーに対応したインターネット接続サービス「iモード」を発表した。これによりユーザは、チケット購入や銀行振込を含むあらゆるサービスを携帯端末上で利用できるようになった。株式会社NTTドコモ以外の各社もこの動きに追随し、その結果通信事業者のモバイルインターネット基盤を核とした垂直的なエコシステムが形成された。
しかしながら、2000年代に入り「スマートフォン(スマホ)」が登場、「GAFAM(Google・Apple・Facebook・Amazon・Microsoft)」に代表されるプラットフォーム事業者が革新的な新しいビジネスモデルを創出し、エコシステムを形成して多くのサービスを巻き込むようになった。通信事業者のかつての圧倒的な存在感は急速に薄らぎつつあり、各社の間には「廉価な通信機能だけを商材とする『土管屋』に成り下がること」への不安が広がっている。加えて、5G/AI/IoTといった新たな技術の登場、その他社会環境・経済環境の諸々の変化に伴い、通信事業者の中では「非通信領域における事業機会の発掘と拡大」が喫緊の課題の一つとして認識されるようになった。

 

図1 通信業界をとりまくトレンドと通信事業者の課題

図1 通信業界をとりまくトレンドと通信事業者の課題

通信事業者が新たな事業領域として着目しているのが「企業のDX(Digital Transformation)推進」である。DXの実現の核となるのは5G/IoT/AIといった各種ICT技術であるが、5G/IoT時代の本格到来に伴い、これらの技術に最も精通した存在の一つである通信事業者が、企業の変容を促すソリューションの提供を積極的に進めようとしている。それにあたり通信各社は、DX推進に積極的な「有望業種」を模索している。
本インサイトでは、そのような「有望業種」の一つとして「医療・ヘルスケア」領域を取り上げる。後続の章では、医療・ヘルスケア領域をとりまく現状も概観しながら、なぜ同領域が有望と考えられるのか、通信事業者は同領域でどのようなビジネスチャンスが期待できるのか、といった点を考察する。

医療・ヘルスケア領域の現状と課題

アビームコンサルティングでは、通信事業者がDXを軸とした次世代型サービス提供を考えた場合に有望な領域を見出すにあたり、大きく下記のようなクライテリア(評価基準)があると考えている。
 ① 新技術(5G/IoT/AIなど)による業務高度化・業界変革が期待できること (新技術との親和性)
 ② 業務改革に対する切迫感が高い領域であること(業務改革の緊急性)
 ③ 市場規模が大きいこと

上記のクライテリアを踏まえて昨今の環境を見渡した場合に、日本社会の課題感と業界従事者の課題感、さらにDXソリューションを推進したい通信事業者の思惑とが合致する領域、すなわち通信事業者のDX支援対象として有望な領域の一つとして浮かび上がってくるのが「医療・ヘルスケア」だと考えている。同領域の現状と、上記のクライテリアとを照らしながら概観してみよう。

まず「①新技術(5G/IoT/AIなど)による業務高度化・業界変革が期待できること」であるが、現在日本の医療機関はICT化が非常に遅れている領域の一つとされている。電子カルテやコミュニケーションツールといった最低限のツールでさえ普及が進んでいるとは言えない状況である上に、情報が医療機関内で閉じているために患者個人や他機関との連携が紙やFAX・CD-ROMといった前時代的な媒体でなされている。個人にまつわる各種のデータがアナログの状態で散逸的に収集・使用・管理されているため、「複数の情報から患者個人の症状や治療法を見出す」ことは完全に医療従事者の力量に委ねられており、結果として現場業務は過度に労働集約的になっている。

次の「②業務改革に対する切迫感が高い領域であること」について、政府は「健康寿命の延伸」を大目標に掲げつつ、前述のような現場業務のひっ迫にも照らし、医療現場でのICT技術活用により医療の効率や質を向上させる「医療DX」を本格的に推進すべく検討に着手している。
「健康寿命」とは、日常的・継続的な医療・介護に依存せず、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間を指す。2016年における平均寿命と健康寿命の差(つまり人が寝たきりになるといったような自立した生活のできない期間)は男性で8.84年、女性で12.35年であった。健康寿命を延ばすためには「健康維持・管理は医療機関にお任せ」という従来の考え方はもはや通用しない。「日常生活全般を医療・ヘルスケア行為につなげ」つつ「病気を未然に防ぐ」など、生活活動全般を通じた健康維持向上が不可欠との考え方が一般的になりつつある。

こういった生活活動・人生全般を通じた健康維持向上、言い換えれば次世代型の医療・ヘルスケアを実現するうえでのインプットとなるのが生活者のデータであり、これを適切に分析し健康維持・向上活動にフィードバックすることがこれからの医療・ヘルスケアの基本となる。そのためには、あらゆるデバイスから吸い上げられるこれら膨大なデータに、必要な医療・ヘルスケア従事者が適切にアクセスでき、適切に閲覧・編集できるようなデータプラットフォームが必須である。これらのデータは秘密性が高いうえ、画像を多く含むこともあり多くの場合大容量となる。また人々の日常生活全般からデータを吸い上げることを想定すると、あらゆるデバイスをシームレスに接続するしくみが不可欠である。

しかしながら①で概観した通り、日本の医療機関はICT化が非常に遅れており、そういったプラットフォームを構築する素地が整っていない。そこで政府主導による「医療DX」推進、つまり各種データとICT技術を駆使することにより、診療・治療などの業務や医療機関のビジネスモデルや業務プロセス、組織文化や風土を変革し、課題の解決を目指そうとの動きが出てきた。政府は全国医療情報プラットフォームの創設や電子カルテアプリケーションの標準化といった一連の施策を通じ、保健・医療情報の利活用を積極的に推進して、次世代型医療を早急に実現したい考えである。

最後の「③市場規模が大きいこと」について、経済産業省では、公的保険外サービス産業群をヘルスケア産業と総称しており、2025年までに約33兆円規模に成長するものと見込んでいる。なお、経済産業省は「医療・介護」と「ヘルスケア」を下記のように定義している。

  1. 医療・介護(公的な医療保険・介護保険の対象となるもの):医療機関による医療サービス、医薬品、医療機器、介護関連機関による介護サービス、介護・福祉用具
  2. ヘルスケア(公的な医療保険・介護保険の対象とならないもの):健康保持・増進に寄与するもの(運動、衣食住、睡眠、健康経営など)、患者/被介護者の生活を支援するもの(民間保険、患者/被介護者向け各種商品・サービスなど)

既述のクライテリア①・②・③は、図2のように整理される。

 

図2 クライテリアによる有望領域の絞り込みイメージ

図2 クライテリアによる有望領域の絞り込みイメージ

通信事業者の医療・ヘルスケア領域参入に際しての戦略的なアプローチ

既述の通り、医療・ヘルスケア領域へアプローチすることは、関連する各事業者の前時代的な業務の在り方を根本から改革し業務を人手に頼る状態から脱却させるものである。同時に、日本の医療現場および医療サービスの高度化の必要性という現政府の抱える喫緊の課題の一つに対して解を差し伸べるものでもある。
しかしながら、「何から着手すべきかが分からない」という声や、「既存の資産を活かして新規事業を立ち上げたいが、医療・ヘルスケアにおいて自社のどのような要素を活用すべきかが判断できない」という声は多い。そこで当章では、医療・ヘルスケア領域の現状を概観しながら、「通信事業者がラインアップすべき医療・ヘルスケア領域のDX支援サービス」および求められるケイパビリティを整理する。
アビームコンサルティングでは、医療・ヘルスケア領域のDXを支援するサービスを検討・新規立ち上げするにあたり、図3のフレームワークを策定した。これは、医療・ヘルスケア機関DX支援サービスが最終的な受益者に対しどのような価値を提供すべきか、またそのためにはどのようなケイパビリティが求められるかを整理したものであり、大きく3つに区分される。

 

図3 医療・ヘルスケア機関DX支援サービスの全体像

図3 医療・ヘルスケア機関DX支援サービスの全体像
  1. 業務効率化支援サービス:医療・ヘルスケア機関の業務プロセスを改善し、効率化や施設経営の高度化を実現するもの
  2. 事業高度化支援サービス:エンドユーザ(患者)やミドルB・ミドルGに対し、新たな価値を提供するもの
  3. インフラシステム:上記1・2を実現するために必要な、一連の情報の名寄せ機能およびデータ収集・分析基盤

※ ミドルB・ミドルG=B2B2X事業モデル(ビジネスパートナーを介してサービスを提供するモデル)の中心に当たる存在。ミドルBの「B」は「Business(企業・事業者)」の略であり、様々な業界におけるサービス提供者をさす。この派生形として、企業・事業者ではなく国や自治体・行政等がサービス提供を行うケースも存在し、この場合にサービス提供の中心となる者をミドルG(「G」は「Government」の略)と称する。

まず、上記それぞれの背景にある現状課題について概観しよう。
「1. 業務効率化支援サービス」は、その名の通り医療・ヘルスケア事業者の現状業務を見つめ直し、コア業務の効率化を支援するものである。既述の通り現在の医療現場は医師や看護師といったスタッフの知識や処理能力、機転に依存する傾向が強い。この結果スタッフの手作業の多さが業務の遅滞を生む悪循環となるばかりでなく、医療機関の待ち時間の長さが「待合2時間・診察3分」とも揶揄されるなど、患者にとっての苦痛にもなっている。
こうした状況を打破するため、事務作業の内、アナログで行っている作業や、システムに人力で入力している作業などを自動化し、工数を減少させることが当サービスの目的である。また、自動化によりデジタル化された各種情報をAI分析することで、今まで以上により的確な診察を実現するといったことも意図している。

次に「2. 事業高度化支援サービス」は、既述の「生活者の日常生活全般を医療・ヘルスケア行為につなげる」ことを根底に、生活データを活用した疾病の予兆検知や、それらの分析結果を活かした健康改善活動や治療行為の質の向上を狙うものである。
一般の生活者は「健康維持・管理が大切なことは分かっているが、そのために我慢や無理をしたくない」という思いが強い。そうした中、当サービスはサービス利用に際してのエンドユーザの苦痛や我慢を回避し、かつ情報量豊富なデータを取得することを意図するものである。

最後の「3. インフラシステム」は、あらゆる種類のデータを統合し個人に紐づける際に、またデータの収集分析の際に必須の機能である。
既述の通り、医療・ヘルスケア領域においては、単一機関・施設だけでの治療には限界があるとの認識が広がっており、「あらゆる施設が連携して」「予防から予後に至る連続性ある健康管理を行う」必要性が認識され始めている。これを実現するためには、各種施設・デバイスからのデータを一元管理できるID統合機能と、その紐づけられたデータを管理・分析するための基盤が重要な役割を占める。
冒頭でも示した通り、5G/IoT時代においては、ネットワークにつながるデバイスの数・種類が爆発的に増加し、対象物のあらゆる状態や行動を吸い上げるようになる。このデータを収集・分析・管理し、ユーザへフィードバックするしくみ、つまりプラットフォームレイヤが、エコシステムの覇権を握る存在として今後いっそう重要度を増すことになると考えられている。

次に、上記それぞれを提供するにあたり、必要となるケイパビリティについて考えてみよう。
まず「1. 業務効率化支援サービス」は、施設内業務のあり方を見直し、業務に携わる人やモノ・情報・コスト(カネ)の無駄を是正する取り組みであり、具体的なサービスとして院内業務BPR(Business Process Reorganization)や電子カルテ、医療機関向け各種AI・RPAツールなどが挙げられる。
プロセス改善のためのコンサルティング、つまり現状業務の正確な把握や適切な改善提案が必要であるため、業界知識に加え、いわゆるコンサルティングスキル(ロジカルシンキング、ヒアリング・ファシリテーションなどのコミュニケーション力)やIT知識が求められる。

次に「2. 事業高度化支援サービス」は、既述したような「生活者の日常活動全般を医療・ヘルスケア行為につなげ、健康維持・向上に役立てる」ことを目的としているもので、すでに多くのジャンルの事業者が参入し工夫を凝らした各種のサービスを展開している領域である。例として、温泉や自然環境・食事といった地域資源を活かした健康保養地事業を通じ地域振興にもつなげようとする山形県上山市の「クアオルト」事業や、ゲームメソッド機能により患者の服薬に対するモチベーションを向上させ残薬(薬の飲み残し)を減らそうとする株式会社バンダイナムコ研究所と東和薬品株式会社による服薬支援ツール、JR東日本らがJR横浜駅にて実証実験として企画した、駅構内でクイック健康測定ができる「駅チカふらっと健康測定」などが挙げられる。これらのサービスの提供に際しては、既存のリソースを活かしつつ新たな事業を立ち上げるスキル、つまりアイディアをビジネスモデルに昇華させ、関連する第三者を巻き込んだフォーメーションを構築する力が求められる。

最後の「3. インフラシステム」は、上記1・2を実現する際の基盤となるものである。生活者や医療・ヘルスケア機関から吸い上げた膨大なデータを生活者個人単位で名寄せしそれらを管理・運用する。個人に紐づくあらゆるデバイスをシームレスに接続し、それらから吸い上げられる膨大なデータを適切に分析しセキュアに管理する機能、またそれらを必要な関係者のみの間で開示する機能は必須であるが、扱うデータがセンシティブであることに照らすと、安心感を与えうるブランドも不可欠である。

このように、医療・ヘルスケア領域においてDX支援サービスを新規に立ち上げる場合は、上述のフレームワークを用いて自らのケイパビリティや保有リソースに照らしてどのようなサービスを提供すべきかを見極める必要があるが、通信事業者の現在のコア事業や社会的役割を考慮した場合、「3. インフラシステム」を中核事業に据え、一連の機能の立ち上げと作りこみを行いつつ「1. 業務効率化支援サービス」や「2. 事業高度化支援サービス」を展開する事業者群を巻き込んだエコシステムの構築を進める、というプロセスがふさわしいであろう。クラウドやエッジサーバ技術、ブロックチェーンに代表されるセキュアな伝送技術などを活用し、エコシステム全体をオーケストレーションする役割は、通信事業者が大いに強みを発揮できる領域と想定される。

おわりに

医療・ヘルスケア領域はシステムや労働環境の整備に課題をもっており、想定される今後の日本社会の在りように照らした場合に早急な改革が必要な領域である。この領域に対して通信事業者が果たすべき役割は、コア事業における技術的知見や社会的知名度を活かしつつ各種情報を一元的に管理し得るプラットフォームを構築し、関連するプレイヤーを巻き込んだエコシステムを形成することである。これにより、健康管理を医療機関だけに依存させない仕組み、生活者一人ひとりが日々のあらゆる活動を通じて健康維持・向上できるような仕組みを作り、政府の医療費負担過剰という社会課題の解決に取り組むべきと考える。

アビームコンサルティングではこうした考えのもと、通信事業者やSIerに対し医療・ヘルスケア関連領域におけるDXサービス立ち上げを支援しており、主に下記のようなアプローチを取っている。
 ① 現状理解のためのマーケット俯瞰
 ② ビジネス的観点からのシナリオドラフト策定
 ③ 技術的観点からのシナリオドラフト策定
 ④ 実行計画策定
上述の構想策定のフェーズのほか、パートナー開拓やPoC(実証実験)を含めた実行フェーズにおいても、クライアントと一体となったご支援を行っている。
本インサイトでは、医療・ヘルスケア領域にフォーカスを当てて取り上げたが、それ以外の領域についても、新規事業展開を検討されている通信事業者にはぜひご相談頂きたい。

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