金融機関に求められる包括的な環境課題への対応
第1回 ネイチャーポジティブに係る動向と
金融機関に期待される役割

2024年1月26日

自然の回復を目指す「ネイチャーポジティブ」というコンセプトが、近年カーボンニュートラルとならぶ環境課題として注目されている。自然を資本として生み出される様々な恩恵は社会・経済活動の基盤であり、自然資本のき損は企業の継続的な事業運営において重要なリスクファクターとなっている。一方で、ビジネスでネイチャーポジティブに対応することの蓋然性や、具体的にどのように取り組んで行けば良いのか分からないという声も耳にする。
本インサイトでは、ネイチャーポジティブの推進役として期待されている金融機関の視点から、カーボンニュートラルとネイチャーポジティブに包括的に対応していくためのポイントをシリーズで考察する。第1回は、イントロダクションとしてネイチャーポジティブに係る動向を整理するとともに、金融機関に期待される役割をご紹介する。

目次

なぜネイチャーポジティブが重要なのか

そもそも自然資本とは何なのか、まず基本的な概念を整理したい。自然資本とは、再生可能および非再生可能な天然資源(例:植物、動物、空気、水、土、鉱物)のストックのことである。これらのストックから、基盤・供給・文化・調整といった生態系サービスと、地質学的プロセス(例:鉱物、金属、石油と天然ガス、地熱、風、潮流、季節など)から受ける非生物的サービスのフローが生み出されており、こうした生態系サービス・非生物的サービスが社会・経済活動の基盤となっている(図1)。当然企業も事業を営む上でその便益を享受していることから、自然資本は人的資本や金融資本とならび、経済・社会活動を支える資本の一つと考えられているのである。

 

図1 自然資本による生態系サービス

図1 自然資本による生態系サービス

なお、自然資本と同様に「生物多様性」という言葉もよく耳にするが、これは自然資本に内包される概念で生態系の多様性、種の多様性、遺伝子の多様性のこととされている。生物多様性は洪水や干ばつといった自然災害に対する回復力や、炭素循環・水循環、土壌形成といった基礎的プロセスを支えており、自然資本の健全性と安定性にとって極めて重要な要素と位置付けられている。

ネイチャーポジティブという言葉から、その影響は農林水産業や食品などのセクターに限定されるのではないかと誤解されがちだが、実際には全てのセクターの企業が自然資本・生物多様性に依存し、影響を及ぼしている。例えば、原材料の調達に当たっては森林資源の伐採や金属資源・鉱物資源の採掘により地域の生態系を破壊する危険性がある。また原材料や製品を輸送する際に期せずして侵略的外来種を運搬してしまったり、製品販売後の消費者の廃棄を通じて生態系に悪影響を及ぼしてしまったりする可能性もある。たとえサービス業であったとしても、事業所を構えて営業活動をする際に、そこで水資源や土地を利用しているのである。
世界経済フォーラムが2020年に発行したレポート「Nature Risk Rising(自然へのリスク増大)」によると、世界の総GDPの半分以上に相当する44兆米ドルもの経済的価値創出が、自然資本および自然資本がもたらす生態系サービスに大きく依存していることを示唆している。

このように、企業は原材料の調達から輸送・製造・販売・消費・廃棄に至るまでバリューチェーン全体で自然資本に依存し影響を及ぼしているのだが、人間の経済・社会活動を通じた土地や海域の利用の変化、生物の直接搾取、気候変動、汚染、侵略的外来種により、自然資本・生物多様性は近年危機的状況にあると言われている。生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム(IPBES: Intergovernmental Science-Policy Platform on Biodiversity and Ecosystem Services)が2019年に発行した「生物多様性と生態系サービスに関するIPBESグローバル評価報告書(IPBES Global Assessment Report on Biodiversity and Ecosystem Services)」によると、今後数十年間で推定約100万種の動植物種が絶滅危機にあると警告している。また個体数に関しても、世界自然保護基金(WWF: World Wide Fund for Nature)の「生きている地球指数」によると1970年から2018年にかけて平均69%減少したとされている(図2)。

 

図2 生きている地球指数(LPI)

図2 生きている地球指数(LPI)

生態系サービスへの需要圧の増加や生物多様性の減少により、企業は物理的リスク(気候変動に伴う収穫量減少、土壌汚染による収穫高の減少や疫病の蔓延、森林破壊による土砂流出や水循環システムの崩壊など)や移行リスク(法や規制、テクノロジーに関するリスク、市場リスク、レピュテーションリスクなど)にさらされることになる。一方、自然資本に配慮すべき領域(食糧・土地・海洋の利用、インフラ・建設、エネルギー・採掘活動)への投資により、新たなビジネスチャンスの創出も期待されている。
こうした背景から、自然資本・生物多様性の保全・回復への取組み=ネイチャーポジティブがカーボンニュートラルに並ぶ中核的な経営課題になりつつある。世界経済フォーラムが毎年発表する「グローバルリスク報告書」において、今後10年間に起こりうる深刻度が大きいグローバルリスクとして近年「生物多様性の喪失や生態系の崩壊」、「天然資源危機」が上位に挙げられており(図3)、自然資本・生物多様性が気候変動とならび環境分野において不可欠のテーマになっていることが分かる。

 

図3 今後10年間に起こりうる深刻度が大きいグローバルリスクの推移

図3 今後10年間に起こりうる深刻度が大きいグローバルリスクの推移

ネイチャーポジティブの動向

ここでは、現時点で先行して環境課題として取り組みが進められている気候変動にも触れながら、自然資本・生物多様性に関する国内外の動向を紹介する。ネイチャーポジティブに係る動向は枚挙にいとまがないが、本インサイトでは国際的な取り組みとして国連のイニシアティブ関連を、国内の取り組みについては日本政府が打ち出した生物多様性国家戦略を取り上げていく。

国際的なイニシアティブとして、まず国連による生物多様性条約による締約国会議を押さえておきたい。気候変動問題において「気候変動枠組条約」はよく知られているが、生物多様性も同様に「生物多様性条約」が存在し、その歴史は古くいずれの条約も1992年に国連で採択されている。生物多様性条約は1992年以降、概ね二年に一回の頻度で締約国会議(COP)が開催されている。
注目すべきは2022年にCOP15で採択された「昆明・モントリオール生物多様性枠組」である。COP15ではそれまでのCOPとは異なり企業関係者や投資家が多く参加したことが特徴的で、2030年までに陸域・内水域・海域の30%以上の保全・回復をすること(30by30)や、企業に生物多様性・自然へのリスク・依存・影響を把握して開示を求めるといった画期的な合意がなされた。特に大企業や多国籍企業、金融機関については、サプライチェーンやバリューチェーン、ポートフォリオに亘って生物多様性に係るリスク・依存・影響を定期的にモニタリングし、評価し、透明性をもって開示することを求めている。

次に、科学的な見地から気候変動と生物多様性の相互関係が議論された「IPBES-IPCC合同ワークショップ」についても注目したい。気候変動と生物多様性の損失は人類にとって深刻な危機でこの2つの危機は相互に深く関わっていると言われていたが、科学者も政策決定者も従前は別々に対応してきた。こうした経緯から、2020年に前出のIPBESと気候変動に関する政府間パネル(IPCC: Intergovernmental Panel on Climate Change)が合同でワークショップを開催した。IPBES-IPCC合同ワークショップ報告書によると、気候変動の制御と生物多様性の保護は相互依存する目標であること、気候変動の緩和・適応にのみ焦点を当てた対策では生物多様性に悪影響を及ぼす可能性があること、気候・生物多様性・人間社会を一体のシステムとして扱うことが効果的な政策のカギとなること、などが示唆されている。昨今は気候変動の緩和・適応と自然資本・生物多様性の保全・回復を統合的に取り組むべきという考え方が、国際的な共通認識となっている。
 
そして現在、ビジネスにおいて最も注目を集めているのが自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD: Taskforce on Nature-related Financial Disclosures)と言えるだろう。詳細は次回以降で解説するが、TNFDとは世界の金融の流れをネイチャーポジティブに移行させることを目的とし、企業に対してビジネスの自然への依存や自然に与える影響、リスクと機会を評価・モニタリング・報告するための枠組みを作り、財務情報としての開示を求めるもので、気候関連財務情報タスクフォース(TCFD: Task force on Climate-related Financial Disclosures)の自然版と位置付けられている。TNFDは国連開発計画(UNDP: United Nations Development Programme)、国連環境計画金融イニシアティブ(UNEP FI: United Nations Environment Programme Finance Initiative)、環境NGOグローバルキャノピー、そして前出のWWFが主導して2021年に発足した。2022年にTNFDフレームワークのベータ版v0.1が公開され、その後オープンイノベーションアプローチを採りながら更新を繰り返し、2023年9月に正式版v1.0が発表された。TNFDフレームワークをベースに、企業における自然資本の情報開示とネイチャーポジティブへの移行が今後加速することが期待されている。

こうした国際的な動きを受けて、日本国内では2023年3月に「生物多様性国家戦略2023-2030」が閣議決定された。生物多様性国家戦略は2030年までにネイチャーポジティブを実現することを目指し、地球の持続可能性の土台であり人間の安全保障の根幹である生物多様性・自然資本を守り活用するための国家戦略として2050年ビジョン、2030年ミッション、基本戦略、目標、関連施策が記載されている。
基本戦略としては、「生態系の健全性の回復」「自然を活用した社会課題の解決」「ネイチャーポジティブ経済の実現」「生活・消費活動における生物多様性の価値の認識と行動」「生物多様性に係る取組を支える基盤整備と国際連携の推進」の5つが掲げられている。なかでも金融機関の事業により直結するところでは、3つ目の基本戦略「ネイチャーポジティブ経済の実現」が関係しており、生物多様性・自然資本が事業活動に及ぼすリスクや機会の評価、目標設定、情報開示などを推進することに加え、投融資の観点から生物多様性を保全・回復する活動を推進することを行動目標として取り上げている。

 

図4 ネイチャーポジティブに係る主な国内外の取組み

図4 ネイチャーポジティブに係る主な国内外の取組み

金融機関に期待される役割

以上見てきたように、企業は気候変動のみならず自然資本・生物多様性を含めた環境課題への対応を推進し、透明性のある適切な情報開示を求められている。特に金融機関はESG投融資を通じた社会変革のドライバーとなることが期待されている。では具体的に金融機関、特に銀行がどのような対応を期待されているのだろうか。

まず一つは、金融機関自身の経営管理の高度化が挙げられる。先に述べた通りこれからTNFDへの対応が加速していくことが想定されるが、小手先の形式的な情報開示だけでは意味がなく、マーケットからの評価も得難いであろう。TNFD対応の本質は、ビジネスが生態系サービスへどれだけ依存しているか、どれだけインパクトを及ぼしているかを評価し、事業継続性の観点からリスクと機会を適切に把握し、自らの持続可能なビジネスモデル構築に向けた対策を講じることにあると考える。例えば、メガバンクであれば海外の債券含め生態系サービスに依存するアセットを洗い出してシナリオ分析を実施し自らのポートフォリオを評価する、地方銀行においては地場産業が生態系サービスにどれだけ依存しているかを分析し、リスクアセットを評価するといったような取り組みが必要になる。TNFDへの対応を単に形式的な開示対応に留めることなく、経営判断に資するフレームワークとして経営管理に組み込んでいくことがポイントであると考える。

二つ目は、エンゲージメントを通じた取引先企業へのサステナブルファイナンスの提供と、コンサルティングやソリューションの提供といった資金面以外の支援である。取引先企業がネイチャーポジティブへ移行するための資金面/資金面以外での支援を包括的に提供することで、取引先企業のレジリエンス(回復力)を高めることが可能となる。またこうしたエンゲージメントのすそ野を広げることで、金融機関自身の持続可能なビジネスモデルの再構築(中長期的な収入拡大や与信費用の低減)に寄与するとともに、社会全体のネイチャーポジティブ移行に貢献することが期待されている(図5)。

 

図5 エンゲージメントを通じた取引先企業支援と具体的な支援例

図5 エンゲージメントを通じた取引先企業支援と具体的な支援例

アビームコンサルティングは、金融業界における経営管理の専門知見をはじめ、GX(グリーントランスフォーメーション)においても豊富な支援実績を有している。本インサイトではイントロダクションとしてネイチャーポジティブに係る動向と金融機関に期待される役割をご紹介した。本インサイトシリーズでは次回以降で各論に入り、第2回では金融機関のTCFD/TNFDの開示内容を通じて現状の対応状況について考察する。

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